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1968年(昭和43年)ドラフト会議 〜ドラフト概要〜


サンケイ 広島 大洋 阪神 中日 読売 ドラフト概要
近鉄 東京 阪急 西鉄 東映 南海 選択方法



この年は、通算22本塁打の東京六大学記録を樹立した田淵(法大)に注目が集まった。その他、東都で通算20本塁打を放った大橋(亜大)、法政三羽ガラスの山本浩司と富田勝、明大のエース・星野、高校ナンバーワンの本格派・島野(武相高)、関西屈指の強打者・有藤(近大)など、史上まれにみる大豊作の年。


●ドラフトの目玉・田淵幸一(法政大)は希望の巨人入りならず
法政一高〜法政大。大学では、長嶋茂雄が立教大学時代に作った8本塁打の連盟記録を更新する22本塁打を放ち、注目を集めた。

ドラフト前から、「巨人以外はプロ拒否」と宣言していたが、巨人の抽選順位は8番目で、それまで他球団が指をくわえて黙ってみてるわけがなく、指名順位3番目の阪神が1位指名。プロでは長距離砲としてならし、1975年には本塁打王のタイトルを獲得。


●山本浩司(法政大)は地元のカープへ
廿日市高〜法政大。法大4年秋のリーグ戦で4本のホームランを放ち、田淵、富田、山本で、「法政三羽ガラス」とよばれた。

プロ入り後、「浩司」から「浩二」へ改名し、1975年には首位打者を獲得する活躍で赤ヘル軍団を優勝に導いた。首位打者1回(1975年)、本塁打王4回(1978年、1980年、1981年、1983年)、打点王3回(1979年、1980年、1981年)などのタイトルを獲得。


●富田勝(法政大)は南海へ
興国高〜法政大。阪神指名確実といわれていたが、その阪神はまさかの田淵指名、あおりをくったかたちで南海へ。

プロでは入団二年目にレギュラーを獲得し、本塁打23本、打率.287の記録を残したものの、その後は伸び悩み、1973年巨人へ移籍。通算成績は1303試合出場、1087安打、107本塁打、打率.270。12球団全てのチームからホームランを打った。


●東京六大学のエース・星野仙一(明治大)は巨人入りならず中日へ
倉敷商高〜明治大。大の巨人ファンで、「田淵がとれなかったら星野君を1位に」と巨人スカウトから口約束をもらっていたが、巨人が指名したのは「星野」ではなく、「島野」。「”星”と”島”の間違いじゃないか」は有名な話。

巨人戦で異常に強く、巨人キラーの異名も。1974年には最多セーブのタイトルを獲得。気迫を剥き出しにして投げる姿は「燃える男」とよばれ親しまれ、愛知県での星野人気は絶大。


●関西の大型内野手・有藤道世(近畿大)はロッテへ
高知高〜近畿大。プロでは入団1年目から8年連続20本塁打を記録。

走攻守三拍子揃った選手で、しかもプレイに華麗さあり、ミスターロッテとよばれファンに愛された。1977年には首位打者のタイトルを獲得。


●サブマリン・山田久志(富士鉄釜石)は阪急へ
能代高から富士鉄釜石へ入社。肩痛がありプロ入りをためらったが、翌年のシーズン途中に入団。

華麗なるサブマリン投法から、速球とシンカーでガンガン攻める投球は「下手投げの本格派」とよばれた。最多勝3回(1972年、1976年、1979年)、最優秀防御率2回(1971年、1977年)などのタイトルを獲得。


●センバツ甲子園ベスト4の東尾修(箕島高)は西鉄へ
箕島高のエースとしてこの年のセンバツ大会に出場し、チームをベスト4に導いた。投打ともに素質を高く買われての指名。東京六大学進学の夢がありプロ入りを渋ったが、粘り強い交渉の末入団。

プロでは果敢に内角を突くケンカ投法で、一世を風靡した。最多勝2回(1975年、1983年)、最優秀防御率(1983年)などのタイトルを獲得。


●「黄金の足」・福本豊(松下電器)は阪急7位
大鉄高から松下電器へ入社。大鉄高時代は高校三年の夏の甲子園へ出場するも、まさかの初戦敗退。

プロでは、1972年、日本新記録となる1シーズン106個の盗塁を達成。1970年〜1982年まで13年連続盗塁王に輝き、「黄金の足」の異名も。俊足を生かした外野守備も素晴らしく、12年連続ダイヤモンドグラブ賞を受賞。


●加藤秀司(松下電器)は阪急2位
PL学園高〜松下電器。PL学園高時代にドラフト会議で東映に4位指名されるが、これを拒否し松下電器へ入社。

プロでは首位打者2回(1973年、1979年)、打点王3回(1975年、1976年、1979年)などのタイトルを獲得、阪急黄金時代の中軸打者としてチームを引っ張った。


●「400勝投手」金田正一の弟・金田留広(日通浦和)は東映4位
愛知高 〜愛知学院大〜日通浦和。400勝投手・金田正一の実弟。

プロ入団1年目にいきなり18勝、2年目に24勝、4年目には20勝をマークし、最多勝のタイトルを獲得。1974年、実兄・金田正一が監督のロッテに移籍。16勝をマークし、二度目の最多勝のタイトルを獲得するとともに、ロッテの優勝に貢献した。


●オリンピック100メートル日本代表の飯島秀雄(茨城県庁)は東京9位
国際陸上で百メートル10秒1の日本新記録を出し、東京オリンピックとメキシコオリンピックに出場した飯島秀雄(茨城県庁)を東京オリオンズが指名して注目を集めた。

その飯島のプロでの成績は、

9位 飯島秀雄 (茨城県庁 外野手)
年度 所属 盗塁 盗塁失敗
1969年 ロッテ 10 8
1970年 ロッテ 12 9
1971年 ロッテ 1 0
引退

一軍通算成績 23 17

盗塁成功23、盗塁失敗17と、お世辞にも盗塁成功率は高くなく、陸上とベースランニングの違いをまざまざと野球ファンに認識させた。


●その他、指名された主な選手は
投手では、1978年に最多勝のタイトルを獲得した野村収(大洋1位)、通算108勝の左腕・水谷則博(中日2位)

野手では、1983年に本塁打王のタイトルを獲得した大島康徳(中日3位)、通算1514安打の島谷金二(中日9位)、最多安打2回(1976年、1981年)の藤原満(南海4位)、好リードが光った水沼四郎(広島2位)、勝負強い打撃の大田卓司(西鉄9位)、通算171盗塁の飯塚佳寛(東京14位)、通算564安打の広瀬宰(東京2位)、通算501安打の服部敏和(近鉄10位)らが指名された。





1968年(昭和43年)ドラフト会議の結果

東映 (指名順位1番目)
1位 大橋 穣 亜細亜大 内野手
2位 加藤 譲司 藤沢商高 投手
3位 宮本 孝男 竜ヶ崎一高 投手
4位 金田 留広 日通浦和 投手
5位 中原 勝利 電電九州 内野手
6位 小山田 健一 日大山形高 捕手
7位 佐藤 正治 河合楽器 外野手
8位 今野 俊男 関東学院大 内野手
9位 伊達 義城 電電九州 投手
10位 長持 健一 小西電機 投手
11位 星野 孝保 波崎高 投手
12位 住友 秀雄 第一製薬 投手
13位 渋谷 修二 帝京高 内野手
プロ入り後の成績

広島 (指名順位2番目)
1位 山本 浩司 法政大 外野手
2位 水沼 四郎 中央大 捕手
3位 山口 喜司 陸上自衛隊 投手
4位 石川 政雄 宇部鴻城高 捕手
5位 前保 洋 玉竜高 投手
6位 稲葉 光雄 日本軽金属 投手
7位 益田 芳樹 南宇和高 内野手
8位 六條 誠一 高松一高 投手
9位 上林 成行 国府高 投手
プロ入り後の成績

阪神 (指名順位3番目)
1位 田淵 幸一 法政大 捕手
2位 植木 一智 竜谷大 投手
3位 猪狩 志郎 佼成学園高 投手
4位 小島 健郎 近畿大 投手
5位 楠橋 高幸 今治西高 内野手
6位 太田 進 日産自動車 外野手
7位 幡野 正秋 三協精機 内野手
8位 長崎 慶一 北陽高 外野手
プロ入り後の成績

南海 (指名順位4番目)
1位 富田 勝 法政大 内野手
2位 緒方 修 巌木高 投手
3位 松井 優典 星林高 捕手
4位 藤原 満 近畿大 内野手
5位 松村 彰士 御所工高 内野手
6位 前田 四郎 高岡商高 投手
7位 西浦 秋夫 日南工高 外野手
8位 東出 康博 星林高 内野手
9位 鶴橋 鉄行 焼津水産高 投手
10位 梅村 好彦 龍谷大 捕手
11位 藤目 功治 津田高 投手
プロ入り後の成績

サンケイ (指名順位5番目)
1位 藤原 真 全鐘紡 投手
2位 溜池 敏隆 日本熱学 内野手
3位 詫摩 和文 照国高 外野手
4位 千藤 和久 拓殖銀行 投手
5位 安木 祥二 クラレ岡山 投手
6位 山口 芳夫 岩国高 投手
7位 千葉 博夫 川崎高 内野手
8位 篠原 政夫 作新学院高 内野手
9位 村越 稔 神奈川大 捕手
10位 磯部 満 電電信越 投手
プロ入り後の成績

東京 (指名順位6番目)
1位 有藤 道世 近畿大 内野手
2位 広瀬 宰 東京農大 内野手
3位 池田 信夫 平安高 投手
4位 土肥 健二 高岡商高 捕手
5位 八塚 幸三 四国電力 投手
6位 山口 円 鳴門高 内野手
7位 佐藤 敬次 大宮工高 投手
8位 三浦 健二 日本石油 投手
9位 飯島 秀雄 茨城県庁 外野手
10位 安藤 峰雄 コロムビア 投手
11位 藤田 康夫 成東高 投手
12位 舞野 健司 飯塚商高 捕手
13位 市原 明 銚子商高 内野手
14位 飯塚 佳寛 鷺宮製作所 内野手
プロ入り後の成績


近鉄 (指名順位7番目)
1位 水谷 宏 全鐘紡 投手
2位 川島 勝司 日本楽器 内野手
3位 岡田 光雄 松下電器 投手
4位 秋山 重雄 立教大 内野手
5位 芝池 博明 専修大 投手
6位 井上 重信 陸上自衛隊 投手
7位 吉村 健二 高松商高 内野手
8位 半田 実 大鉄高 投手
9位 大島 太治 トヨタ自動車 捕手
10位 服部 敏和 日本楽器 外野手
11位 藤井 信行 協和醗酵 外野手
12位 佐々木 辰夫 四国電力 内野手
プロ入り後の成績

巨人 (指名順位8番目)
1位 島野 修 武相高 投手
2位 田中 章 日通浦和 投手
3位 矢部 祐一 常磐炭鉱 内野手
4位 吉村 典男 リッカ−ミシン 投手
5位 松本 正幸 熊本工高 投手
6位 杉山 茂 銚子商高 捕手
7位 大下 正忠 別府鶴見丘高 内野手
8位 池島 和彦 明治大 投手
9位 梅田 邦三 日本新薬 内野手
10位 富田 清吾 中央大 投手
プロ入り後の成績

大洋 (指名順位9番目)
1位 野村 収 駒沢大 投手
2位 辻 博司 熊野高 投手
3位 井上 幸信 尾道商高 投手
4位 鎌田 幸雄 大森工高 投手
5位 長野 哲 熊谷組 投手
6位 栗田 良孝 新居浜商高 捕手
7位 鈴木 哲夫 猪苗代高 投手
8位 渡辺 孝博 東海大 投手
プロ入り後の成績

中日 (指名順位10番目)
1位 星野 仙一 明治大 投手
2位 水谷 則博 中京高 投手
3位 大島 康徳 中津工高 投手
4位 北野 幸作 北陸高 内野手
5位 三好 真一 南宇和高 内野手
6位 竹田 和史 育英高 投手
7位 今村 信彦 西濃運輸 外野手
8位 小林 浩二 大牟田南高 外野手
9位 島谷 金二 四国電力 内野手
プロ入り後の成績
 

阪急 (指名順位11番目)
1位 山田 久志 富士鉄釜石 投手
2位 加藤 秀司 松下電器 内野手
3位 長谷部 優 岸和田高 投手
4位 柳橋 明 日大山形高 投手
5位 新井 良夫 大宮高 投手
6位 島崎 基滋 大分商高 内野手
7位 福本 豊 松下電器 外野手
8位 柿本 進 星林高 内野手
9位 切通 猛 東芝 外野手
10位 三好 行夫 日鉱佐賀関 内野手
11位 村上 義則 小豆島高 投手
12位 門田 博光 クラレ岡山 外野手
13位 石井 清一郎 大宮工高 外野手
14位 鈴木 博 小山高 投手
15位 坂出 直 倉吉東高 投手
プロ入り後の成績

西鉄 (指名順位12番目)
1位 東尾 修 箕島高 投手
2位 乗替 寿好 若狭高 投手
3位 宇佐美 和雄 木更津中央高 投手
4位 阿部 良男 常磐炭鉱 外野手
5位 春日 一平 中津工高 捕手
6位 稲津 憲司 鎮西高 内野手
7位 水本 信雄 宇部鴻城高 投手
8位 川野 雄一 臼杵高 捕手
9位 大田 卓司 津久見高 外野手
10位 石井吉左衛門 津久見高 投手
11位 秋葉 敬三 鹿児島鉄道局 投手
12位 西村 俊二 河合楽器 内野手
13位 瀬戸 和則 大槌高 投手
14位 高橋 明 柳川商高 外野手
15位 片岡 旭 クラレ岡山 捕手
16位 西村 昌幸 三菱化成 捕手
プロ入り後の成績 





1968年(昭和43年)ってどんな年?
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最優秀新人賞 矢吹健「あなたのブルース」
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世相や流行 学校でスカートめくり流行(漫画ハレンチ学園の影響)
流行言葉 ハレンチ ズッコケル
社会の出来事 三億円事件発生
プロ野球の優勝チーム セ:巨人77勝53敗4引 パ:阪急80勝50敗4引
プロ野球の最優秀選手 セ:長嶋茂雄(巨人) パ:米田哲也(阪急)
春の甲子園優勝校 大宮工(バッテリー:吉沢−長谷川)
夏の甲子園優勝校 興国(バッテリー:丸山−丸目)