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1974年(昭和49年)ドラフト会議 〜ドラフト概要〜


ヤクルト 広島 大洋 阪神 中日 読売 ドラフト概要
近鉄 ロッテ 阪急 太平洋 日本ハム 南海 選択方法



長年、プロ野球人気を支えてきた巨人の長嶋茂雄がシーズンオフに引退。
この年の注目選手は、快速右腕・山口高志(松下電器)と、「高校球界四天王」とよばれる土屋正勝(銚子商)、永川英植(横浜)、定岡正二(鹿児島実)、工藤一彦(土浦日大)。


●甲子園の悲劇のヒーロー・定岡正二(鹿児島実高)は巨人へ
高校二年夏、三年夏の二回甲子園へ出場。高校二年夏の甲子園は、代打として1打席だけしか出場できなかった。

翌年の高校三年夏の甲子園では鹿児島実高のエースとして出場し、1回戦・佼成学園を1安打完封シャットアウト、2回戦・高岡商を7安打完封シャットアウト。準々決勝では原辰徳(当時・一年生)の東海大相模高を延長15回の死闘の末、破り、鹿児島県勢として初のベスト4へチームを導いた。

続く準決勝の防府商戦は、3回表、二塁から本塁へ突っ込んだ際の走塁で右手首を負傷し、退場を余儀なくされチームは敗退した。しかし悲劇のヒーローとなった定岡正二は甘いマスクも手伝い、女子中高生に大人気となった。

ドラフト会議で巨人に1位指名され入団。高校時代の絶大な人気は衰えを知らず、プロ1年目の自主トレで、2万人のギャルを多摩川グランドに集め、長嶋監督を驚かせた。今の若い子は定岡正二というとバラエティ番組での「ダメサダ」のイメージしかないだろうが、昔はアイドルスター顔負けの人気を誇っていたのだ。

巨人では、江川、西本と、先発3本柱を形成し活躍するも、1984年、近鉄へのトレードを拒否し、29歳の若さで引退。通算成績は、215試合出場、51勝42敗3セーブ。
兄に定岡智秋(鹿児島実〜1971年南海ドラフト3位)、弟に定岡徹久(鹿児島実〜専大〜1982年広島ドラフト3位)がいる。


●夏の甲子園優勝投手・土屋正勝(銚子商高)は中日へ
銚子商高のエースとして、高校二年夏の甲子園に出場し、土居正史(1976年広島2位)がエースの岡山東商高を延長12回の熱戦の末破り、二回戦へ進出。続く二回戦は作新学院高の怪物・江川卓、三回戦は高松商高の植上健治(1973年阪神2位)に投げ勝ち、ベスト8進出に貢献した。

翌年の高校三年・夏の甲子園は、超高校級スラッガー・篠塚利夫(当時二年、1975年巨人1位)とともに出場し、1回戦で金森栄治(1981年西武2位)のPL学園高に1失点完投勝利すると、あとは、中京商、平安、前橋工、防府商と、並居る強豪校に1点も与えない完璧な投球で、銚子商を優勝に導いた。

速球、カーブ、スライダー、シュートを巧みに使い分け、打者との駆け引きにも優れた土屋は、「完成品。すぐにでも使える」と、高校四天王の中では一番高く評価され、ドラフト会議では指名順位3番目の中日が1位指名。

プロでは、高校時代の過度の連投が原因か、パッとせずに終わった。ちなみに石毛宏典(市立銚子高〜駒大〜プリンスホテル〜1980年西武1位)は同級生で、高校3年の千葉大会決勝で対戦。


●即戦力候補ナンバーワンの山口高志(松下電器)は阪急が1位指名
市立神港高 〜関西大〜松下電器。市立神港高時代は高校三年夏の甲子園へ出場し、初戦で秋田市立高と対戦。下馬評では圧倒的に市立神港有利も、山口高志が打ちこまれ、初戦で敗退した。

高校卒業後、関西大へ進学し、優勝に貢献。大学卒業時には有力なドラフト候補として名が挙がるも、プロ拒否宣言。ヤクルトがドラフト4位で強行指名するもこれを拒否し、松下電器へ入社。

社会人では都市対抗で小野賞を受賞。171センチと小柄だが、「村山二世」の異名通り、全身を使って投げる快速球は、「10勝は堅い」といわれた。

プロでは、入団1年目に12勝をマークし、新人王を受賞。1978年には最優秀救援投手のタイトルを獲得。剛速球を武器に抑えの切り札として活躍するが、故障が多く、実働期間は短かった。記録よりも記憶に残る投手。


●工藤一彦(土浦日大高)は高校四天王の中でただ一人2位指名
土浦日大高のエースとして、高校三年・春夏甲子園出場。高校三年・夏の甲子園では、初戦で原親子の東海大相模と対戦し、延長16回の熱戦の末、2−3で敗退した。

ドラフト会議では阪神に指名されるも、高校四天王の中で唯一の2位指名に不満のようで、「大学進学」をにおわせ、入団をごねた。
プロ通算成績は、308試合出場し、66勝63敗4セーブ、防御率4.04。


●高橋慶彦(城西高)は広島3位
城西高のエースとして、高校三年・夏の甲子園に投手として出場。初戦の佐世保工高を完封シャットアウトするも、3回戦・郡山高に打ちこまれ、2−5で敗退した。

プロ入団後、野手に転向、俊足を武器に、赤ヘル軍団の一番バッターとして活躍した。盗塁王3回(1979年、1980年、1985年)獲得。「練習の虫」とよばれた努力家。


●その他、指名された主な選手は
投手では、通算85勝10Sの村田辰美(近鉄2位)

野手では、2000本安打を達成した新井鐘律(南海2位)や、1991年にゴールデングラブ賞(三塁手)を受賞した角富士夫(ヤクルト2位)らが指名された。





1974年(昭和49年)ドラフト会議の結果

近鉄 (指名順位1番目)
1位 福井保夫 松下電器 投手
2位 村田辰美 三菱自動車川崎 投手
3位 落合登 四国鉄道管理局 投手
4位 吹石徳一 日本新薬 内野手
5位 谷宏明 熊本一工高 投手
6位 田野茂樹 小西酒造 投手
プロ入り後の成績

阪急 (指名順位2番目)
1位 山口高志 松下電器 投手
2位 松井満 下関商高 外野手
3位 笠間雄二 電電北陸 捕手
4位 鈴木弘規 水沢一高 投手
5位 前川光春 熊本一工高 内野手
6位 浜野正明 和歌山工高 内野手
プロ入り後の成績

中日 (指名順位3番目)
1位 土屋正勝 銚子商高 投手
2位 神垣雅行 近畿大 内野手
3位 高橋千秋 新日鉄釜石 投手
4位 貝塚博次 三田学園高 投手
5位 松浦正 小倉工高 投手
プロ入り後の成績
 

巨人 (指名順位4番目)
1位 定岡正二 鹿児島実高 投手
2位 中山俊之 大昭和北海道 投手
3位 倉骨道広 東京農大 捕手
4位 塩月勝義 協和醗酵 投手
5位 大本則夫 電電四国 投手
6位 岡昭彦 春日部工高 内野手
プロ入り後の成績

大洋 (指名順位5番目)
1位 根本隆 日本石油 投手
2位 宮本四郎 中京大 投手
3位 大川浩 愛媛新田高 投手
4位 鈴木徳義 新日鉄名古屋 投手
5位 尾形正巳 新日鉄広畑 外野手
6位 三浦正行 電電北海道 捕手
プロ入り後の成績

ロッテ (指名順位6番目)
1位 菊村徳用 兵庫育英高 投手
2位 長松純明 福岡工大 捕手
3位 芦岡俊明 亜細亜大 内野手
4位 若林仁 身延高 投手
5位 入沢淳 桐蔭学園高 捕手
6位 石毛宏典 市立銚子高 内野手
プロ入り後の成績

阪神 (指名順位7番目)
1位 古賀正明 丸善石油 投手
2位 工藤一彦 土浦日大高 投手
3位 笹本信二 同志社大 捕手
4位 榊原良行 日本楽器 内野手
5位 町田公雄 元日本石油 外野手
6位 松下立美 津商高 投手
プロ入り後の成績

ヤクルト (指名順位8番目)
1位 永川英植 横浜高 投手
2位 角富士夫 福岡第一高 投手
3位 浜師勝彦 新日鉄室蘭 投手
4位 上野貴士 横浜高 内野手
5位 青木実 日産自動車 外野手
6位 三村雅彦 兵庫育英高 投手
プロ入り後の成績

南海 (指名順位9番目)
1位 長谷川勉 日産自動車 投手
2位 新井鐘律 法政大 外野手
3位 浜名繁幸 臼杵商高 投手
4位 岡本圭右 兵庫三原高 投手
5位 米谷延夫 大昭和製紙 捕手
6位 佐藤豊一 三重高 捕手
プロ入り後の成績

日本ハム (指名順位10番目)
1位 菅野光夫 三菱自動車川崎 内野手
2位 川原昭二 丹羽鉦電機 投手
3位 吉武正成 専修大 投手
4位 木村聖一 弘前実高 投手
5位 柿崎幸男 三沢高 外野手
6位 中野晴彦 新発田農高 内野手
プロ入り後の成績

太平洋 (指名順位11番目)
1位 田村忠義 日本鋼管福山 投手
2位 西田隆広 協和醗酵 内野手
3位 吉本博 南陽工高 捕手
4位 松岡高信 大阪学院大 投手
5位 春日祥之輔 鐘淵化学 外野手
6位 川村博昭 九州産大 外野手
プロ入り後の成績

広島 (指名順位12番目)
1位 堂園喜義 鹿児島商高 投手
2位 望月卓也 広島竹原高 投手
3位 高橋慶彦 東京城西高 投手
4位 中川惣一 福山工高 捕手
5位 相良憲治 熊本一工高 投手
プロ入り後の成績





1974年(昭和49年)ってどんな年?
日本レコード大賞 森進一「襟裳岬」
最優秀新人賞 麻生よう子「逃避行」
世相や流行 スプーン曲げなど超能力ブーム
流行言葉 わが巨人軍は永久に不滅です
社会の出来事 巨人の長島茂雄引退 田中首相退陣
プロ野球の優勝チーム セ:中日70勝49敗11引 パ:ロッテ69勝50敗11引
プロ野球の最優秀選手 セ:王貞治(巨人) パ:金田留広(ロッテ)
春の甲子園優勝校 報徳学園(バッテリー:住谷−新田)
夏の甲子園優勝校 銚子商(バッテリー:土屋−太田)