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ヤクルト | 広島 | 大洋 | 阪神 | 中日 | 読売 | ドラフト概要 |
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この年のシーズンオフに日拓ホーム・フライヤーズが身売り。日拓は同年1月に、経営不振に悩んでいた東映フライヤーズを買いとったばかりで、わずか1年足らずで球団を手放すことになった。新しい買い手は三大ハムメーカーの一つ・日本ハム株式会社。 この年のドラフト会議の注目選手は、江川卓(作新学院高)と山下大輔(慶応大)。 ●怪物・江川卓(作新学院高)を阪急が強行指名 作新学院高のエースとして、春夏ともに甲子園出場。春のセンバツ大会では、初戦の北陽高戦で19奪三振、準々決勝の今治西戦で20奪三振をマーク。準決勝で広島商高に1−2で敗れたものの、4試合で合計60個の三振を奪い、江川卓の名を全国に轟かせた。 圧巻だったのは夏の栃木県予選で、決勝までの5試合のうち、なんと3試合でノーヒットノーランを達成。チーム打率.204と、貧打の作新学院を再び甲子園に導いた。 怪物・江川一色の1973年夏の甲子園…。高校野球人気絶頂だったこの時代、日本中が怪物・江川に釘付けとなった。試合は2回戦で敗退も、マスコミ報道は過熱する一方で、この怪物・高校生の今後に注目が集まった。 しかし江川は慶応大進学の意思が固く、ドラフト会議前にプロ拒否宣言。それでも指名順位6番目の阪急が強行1位指名するが、江川は阪急を拒否。
発言の善悪はさておき、これだけはっきり物を言う高校生は珍しい。興味を引いたのがいの一番くじをひいた大洋・矢野代表のコメントで、「一番クジで江川か慶大・山下で迷った。山下にしたのはオーナーに電話して決めた」 歴史に「もしも・・・」は禁物だが、もしも大洋が江川でいったら江川のプロ入りはあったのだろうか。もしもプロ入りしていたら、「空白の一日」によるイメージダウンもなかったろうに・・・。 ●プリンス・山下大輔(慶応大)は大洋1位 清水東高〜慶応大。慶応大では1年からレギュラーで通算打率.325。ハンサムなマスクが売りの東京六大学のスター選手だった。 プロでは華麗な守備を売りに、1976年から1983年まで8年連続ゴールデングラブ賞を受賞。遊撃手守備機会連続無失策322の記録も。 通算成績は、1609試合出場、1378安打、129本塁打、打率.262。 ●江川卓の控え投手・大橋康延(作新学院高)を大洋が2位指名 怪物・江川卓がいたため、登板機会に恵まれなかった大橋康延投手(作新学院高)を大洋が2位指名。 アンダースローから伸びのあるストレートを投げ、「江川の陰に隠れた大物」と話題になるが、プロ7年間で1勝もできずに終わった。 ●掛布雅之(習志野高)は阪神6位 高校二年生のときに夏の甲子園へ出場。1回戦で山川猛(1978年西武3位)の東洋大姫路高に3−5で敗退。ドラフト会議で阪神に6位指名されるも、テスト合格みたいなもので、ほとんど注目されていなかった。 プロでの活躍は周知の通りで、本塁打王3回(1979年、1982年、1984年)、打点王1回(1982年)などのタイトルを獲得。守備も巧く、セ・リーグ三塁手部門でゴールデングラブ賞を6回受賞。 ●その他、指名された主な選手は 投手は、1976年新人王の藤田学(南海1位)。 野手は、通算1384安打の河埜敬幸(南海3位)、通算1316安打の佐野仙好(阪神1位)、ベストナイン3回受賞の栗橋茂(近鉄1位)、通算583安打の木下富雄(広島1位)、1974年セ・リーグ新人王の藤波行雄(中日1位)らが指名された。 |
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♪日本レコード大賞 | 五木ひろし「夜空」 |
♪最優秀新人賞 | 桜田淳子「わたしの青い鳥」 |
♪世相や流行 | トイレットぺーパー買いだめパニック |
♪流行言葉 | ちょっとだけよ 3分間待つのだぞ |
♪社会の出来事 | オイルショック 金大中拉致事件 |
♪プロ野球の優勝チーム | セ:巨人66勝60敗4引 パ:南海68勝58敗4引 |
♪プロ野球の最優秀選手 | セ:王貞治(巨人) パ:野村克也(南海) |
♪春の甲子園優勝校 | 横浜(バッテリー:永川−沢木) |
♪夏の甲子園優勝校 | 広島商(バッテリー:佃−達川) |