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1988年(昭和63年)ドラフト会議 〜ドラフト概要〜


ヤクルト 広島 大洋 阪神 中日 読売 ドラフト概要
近鉄 ロッテ オリックス 西武 日本ハム ダイエー 選択方法



この年は阪急ブレーブスのオリエント・リース(翌年4月に社名をオリックスに変更)への譲渡、南海ホークスが流通業界のダイエーに買収されるなど、球界は大きく揺れ動いた。


●3年前のセンバツ優勝投手・渡辺智男(NTT四国)を西武が強行指名
伊野商高〜NTT四国。高校時代は3年春のセンバツ大会で優勝。準決勝のPL学園戦では、140キロを超える速球で、怪物・清原(PL学園〜西武)を4打席3三振1四球とキリキリ舞いさせた。

社会人ではソウル五輪代表メンバーにも選ばれた。しかし右ヒジ痛の持病のため、ドラフト1ヶ月前に軟骨露出手術をうけ、プロ拒否宣言。

その渡辺を西武が強行1位指名。1ヶ月前の軟骨露出手術は西武のチームドクターが執刀したとあって、「故障がどこまで本当なのか、西武と渡辺はできているのではないか」と疑問を持たれたが、いずれにせよ、故・根本管理部長を筆頭に西武のしたたかなドラフト戦略の勝利であった。

プロでは一年目に10勝をマーク、入団三年目には最優秀防御率のタイトルを獲得し、西武の優勝に貢献。故障に苦しみ、31歳で引退。


●ソウル五輪のエース・石井丈裕(プリンスホテル)を西武が強行指名
早稲田実高〜法政大〜プリンスホテル。早稲田実業高時代は荒木大輔の控え投手として甲子園出場。準決勝の池田戦では不調の荒木に替わって二番手として登板するも、やまびこ打線を抑えきれず火に油を注いだ。

法政大では猪俣隆の控えで通算8勝5敗。プリンスホテルでメキメキ力をつけ、ソウル五輪日本代表に選出されエースとして活躍。

間違いなくドラフト1位級の器だが、「もう一年社会人で」とプロ拒否宣言し、他球団は拒否を恐れて敬遠するも、同系列企業の西武が2位で強行指名。

1位の渡辺智男、2位の石井丈裕と、プロ拒否の大物投手を二人とも手に入れた西武に、「やり方が汚い」と他球団から批判の声も。

プロでは入団4年目に15勝3敗、防御率1.94の好成績をあげ、優勝に貢献し、MVP、沢村賞などのタイトルを獲得。


●「10年に一人の大物捕手」・谷繁元信(江の川高)は大洋1位
広島県から島根県の江の川高へ野球留学。高校2年夏に甲子園出場するも初戦敗退。

それから2ヶ月後の秋季大会は順調に勝ち進み、センバツ出場を確実視されていたが、まさかのセンバツ選考落選。しかしその悔しさをバネに、高校3年夏の島根大会では「5試合連続7本塁打」を記録する活躍で、自力で甲子園へ出場し、ベスト8進出した。

「10年に一人の大物捕手」の呼び声高い谷繁は、地元・広島カープ指名間違いなしと噂されていたが、ドラフト直前に大洋が谷繁獲りに参入。競合を嫌ったのか、広島はソウル五輪で活躍した野村謙二郎に方向転換し、大洋は一本釣りに成功。プロでは1年目から使ってもらい、セ・リーグを代表する捕手として活躍。


●大豊泰昭(中日球団職員)はすんなり中日へ
華興高(台湾)〜名商大〜中日球団職員。名商大では愛知大学リーグ記録となる通算24本塁打をマーク。

大豊は前年(名商大4年)まで外国人扱いだったが、日本在住5年以上になれば「日本人」として扱われ、ドラフト対象選手となるため、この1年は中日球団職員としてドラフトを待っていた。プロでは1994年に本塁打王のタイトルを獲得。


●甲子園準優勝の福岡第一高の前田幸長はロッテ、山之内健一はダイエーへ
前田幸長はエースとして、山之内健一は四番打者として、この年、春夏甲子園へ出場。春のセンバツは岡幸俊(ヤクルト)がエースの高知商に2−3で初戦で敗れるも、夏の選手権大会は準々決勝で谷繁元信(大洋)の江の川、準決勝で伊礼忠彦(中日)平良幸一(西武)の沖縄水産を破り、準優勝した。

準優勝に導いた前田幸長は、「高校時代の工藤(西武)と互角」と高く評価され、ロッテに1位指名され入団。女性に人気があり、ロッテ入団1年目のキャンプで千個程のバレンタインチョコをもらい、ついたあだ名は「チョコ」。ロッテ〜中日〜巨人とわたり、現在も活躍中。

山之内健一は、一回戦の法政二高戦で2本のホームランを打ち、「九州のバース」の異名を取った。プロには「将来の四番」と期待されて入団するも泣かず飛ばずで、通算成績は、7試合出場して、安打0、本塁打0、打率.000。ダイエー退団後は東京プロレスに入団するも、デビュー前に退団。


●その他、指名された主な選手は
1993年に最多勝と沢村賞を獲得し、プロ通算91勝の今中慎二(中日1位)、東都大学リーグ新記録の52盗塁をマーク、プロでも盗塁王の常連・野村謙二郎(広島1位)、ソウル五輪で四番打者をつとめた中島輝士(日本ハム1位)、入団二年目にはやくも12勝をマークした川崎憲次郎(ヤクルト1位)らが指名された。

下位指名では、ホームランバッター・江藤智(広島5位)、ロッテの主砲・初芝清(ロッテ4位)、1991年に首位打者のタイトルを獲得した平井光親(ロッテ6位)、近鉄の抑えの切り札・赤堀元之(近鉄4位)ら実力派ズラリ。





1988年(昭和63年)ドラフト会議の結果

中日
1位 今中 慎二 大阪桐蔭高 投手
2位 大豊 泰昭 中日球団職員 内野手
3位 山口 幸司 大宮東高 外野手
4位 中嶋 治彦 王子製紙苫小牧 投手
5位 酒井 忠晴 修徳高 内野手
6位 清水 雅治 三菱自動車川崎 内野手
プロ入り後の成績
 
巨人
1位 吉田 修司 北海道拓銀 投手
2位 松谷 竜二郎 大阪ガス 投手
3位 佐川 潔 金足農高 投手
4位 四條 稔 三菱自動車川崎 内野手
5位 前田 隆 三菱自動車水島 内野手
6位 高梨 芳昌 札幌第一高 内野手
プロ入り後の成績
 
広島
1位 野村 謙二郎 駒沢大 内野手
2位 佐藤 裕幸 津久見高 内野手
3位 畝 龍実 NTT関東 投手
4位 近藤 芳久 東芝 投手
5位 江藤 智 関東高 内野手
6位 千代丸 亮彦 常磐高 外野手
プロ入り後の成績
 
大洋
1位 谷繁 元信 江の川高 捕手
2位 宮里 太 熊谷組 捕手
3位 井上 純 東陵高 外野手
4位 堀江 賢治 広陵高 内野手
5位 石田 文樹 日本石油 投手
6位 佐野 貴英 滝川二高 内野手
プロ入り後の成績
 
ヤクルト
1位 川崎 憲次郎 津久見高 投手
2位 岡 幸俊 高知商高 投手
3位 笘篠 賢治 中央大 内野手
4位 幸田 正広 安田学園高 内野手
5位 関根 毅 東海大 外野手
6位 天野 武文 瀬戸内高 捕手
プロ入り後の成績
 
阪神
1位 中込 伸 神崎工高 投手
2位 鶴見 信彦 三菱自動車川崎 内野手
3位 金子 誠一 本田技研 外野手
4位 岩田 徹 三菱自動車水島 捕手
5位 渡辺 伸彦 常石鉄工 投手
6位 鮎川 義文 星城高 内野手
プロ入り後の成績

西武
1位 渡辺 智男 NTT四国 投手
2位 石井 丈裕 プリンスホテル 投手
3位 垣内 哲也 日高中津分校高 捕手
4位 青野 信二 佐伯豊南高 内野手
5位 小久保 浩樹 泉尾高 外野手
プロ入り後の成績
 
   
近鉄
1位 米崎 薫臣 日本生命 内野手
2位 中根 仁 法政大 外野手
3位 田口 茂樹 西城陽高 投手
4位 赤堀 元之 静岡高 投手
5位 桑 認 日大三高 外野手
6位 太田 暁 帝京五高 外野手
プロ入り後の成績
 
日本ハム
1位 中島 輝士 プリンスホテル 内野手
2位 鈴木 慶裕 日本石油 外野手
3位 川名 慎一 鹿児島商工高 外野手
4位 上岡 良一 東北福祉大 投手
5位 難波 幸治 岡山南高 内野手
6位 矢作 公一 立教大 内野手
プロ入り後の成績
 
オリックス
1位 酒井 勉 日立製作所 投手
2位 小川 博文 プリンスホテル 内野手
3位 中村 佳広 杜若高 投手
4位 山崎 尚史 明徳義塾高 投手
5位 戸羽 隆 佐野日大高 内野手
6位 芦苅 芳久 大分・大野高 投手
プロ入り後の成績
 
ダイエー
1位 篠田 淳 大垣商高 投手
2位 御船 英之 福岡大 内野手
3位 松本 卓也 愛知学院大 投手
4位 村上 誠一 熊本工高 投手
5位 山之内 健一 福岡第一高 内野手
6位 太田 勝正 三河高 投手
プロ入り後の成績
 
ロッテ
1位 前田 幸長 福岡第一高 投手
2位 今野 隆裕 西濃運輸 投手
3位 渡辺 英昭 日本大 内野手
4位 初芝 清 東芝府中 内野手
5位 西山 一宇 高知高 投手
6位 平井 光親 愛知工大 外野手
プロ入り後の成績 





1988年(昭和63年)ってどんな年?
日本レコード大賞 光GENJI「パラダイス銀河」
最優秀新人賞 男闘呼組「DAYBREAK」
世相や流行 ドライ戦争 ミニ四駆ブーム
流行言葉 プータロー キープする うれぴー(ノリピー語)
社会の出来事 リクルート事件 青函トンネル開業 瀬戸大橋開通
プロ野球の優勝チーム セ:中日79勝46敗5引 パ:西武73勝51敗6引
プロ野球の最優秀選手 セ:郭源治(中日) パ:門田博光(南海)
春の甲子園優勝校 宇和島東(バッテリー:小川−明神)
夏の甲子園優勝校 広島商(バッテリー:上野−尾崎)