|
ヤクルト | 広島 | 大洋 | 阪神 | 中日 | 読売 | ドラフト概要 |
近鉄 | ロッテ | 阪急 | 西武 | 日本ハム | 南海 | 選択方法 |
この年は高校生に怪物サウスポーが出現。その名は近藤真一(享栄高)、五球団が競合した。大学生組では阿波野秀幸(亜細亜大)が人気となり、三球団の指名が重なった。 ●怪物左腕・近藤真一(享栄高)に五球団が競合 享栄高のエースとして、高校3年春・夏の二回甲子園出場。春の甲子園は新湊高と対戦し、被安打3、奪三振12の力投も、味方の援護に恵まれず0−1で惜敗。 負けた悔しさをバネに再び戻ってきた夏の甲子園では、初戦の唐津西高戦で、被安打1、奪三振15の完封勝利を飾った。 翌日のスポーツ紙は、「素晴らしい。即戦力だ」(ヤクルトスカウト)、「カーブが切れ過ぎて審判がボールにとるくらい。ほれぼれする。カーブだけで飯が食える」(巨人スカウト)、「将来20勝クラスの投手の素材」(西武スカウト)等、絶賛の嵐。 ドラフト会議では、阪神、広島、日本ハム、中日、ヤクルトの5球団が1位指名し、中日の星野新監督が見事当たりくじを引き当てた。 プロでは1年目・初先発初登板の巨人戦で、ノーヒットノーランを達成する衝撃的なデビューを飾り、世間をあっといわせたが、入団3年目に左肩を故障、二度の手術も復活できず。 ●阿波野秀幸(亜細亜大)に大洋、巨人、近鉄の3球団が競合 神奈川・桜丘高〜亜細亜大。高校時代は甲子園出場歴なし。大学でメキメキ力をつけ、東都大学リーグ通算32勝をあげた。パンチ佐藤(平成元年オリックス1位)は大学の同級生。 ドラフト会議では在京球団を希望するが、大洋、巨人、近鉄の3球団が競合し、抽選により希望外の近鉄が交渉権獲得。 プロでは入団1年目に15勝をマークし、新人王を獲得。入団3年目に19勝8敗1セーブの好成績で最多勝を獲得するとともに近鉄の優勝に大きく貢献。結局、ドラフト会議で競合した3球団全てに在籍し、全てで優勝を経験した。プロ通算75勝。 ●西武はあっと驚く隠し玉・森山良二を1位指名 福岡大大濠高〜北九州大中退〜ONOフーズ。高校時代は高校3年夏の甲子園に出場し、1勝をあげた。 早稲田大を目指したが受験に失敗。2浪の後、北九州大に入学するも中退し、小倉のコンビニでアルバイトをしていて、この1年間、全く野球をやってなかったとか。あっと驚く「隠し玉」として西武に1位指名された森山は、入団二年目に10勝をあげ新人王を獲得し、西武スカウト陣の眼力の高さが証明された。しかし活躍したのはこの1年だけ。 ●日本ハムは外れ1位で西崎幸広(愛知工大)を指名 瀬田工高 〜愛知工大。高校3年の時、控え投手としてセンバツに出場するが、明徳高に0−11と大差で初戦敗退。大学で力を付け、愛知大学リーグ記録となる通算37勝、日米野球にも選出された。 ドラフト会議では近藤(享栄高)のくじに外れた日本ハムに1位指名され入団。プロ1年目に15勝し、阿波野と最後まで新人王を争ったが惜しくも落選。入団2年目に最多勝を獲得し、押しも押されぬファイターズのエースに。2001年に引退、プロ通算122勝。 ●その他、指名された主な選手は 「ギャオス」とよばれ人気があった内藤尚行(ヤクルト3位)、1996年に本塁打王のタイトルを獲得した山崎武司(中日2位)、 1995〜1997年にかけて三年連続盗塁王の緒方孝市(広島3位)、プロ通算43勝の猪俣隆(阪神1位)、メジャーへ移籍した木田優夫(巨人1位)、1990年に28本塁打を放った八木裕(阪神3位)、1992年に盗塁王になった飯田哲也(ヤクルト4位)、通算282本塁打の藤井康雄(阪急4位)などが指名された。 |
|
|
♪日本レコード大賞 | 中森明菜「DESIRE」 |
♪最優秀新人賞 | 少年隊「仮面舞踏会」 |
♪世相や流行 | ファミコンが大人気に 土井たか子フィーバー |
♪流行言葉 | タンスにゴン亭主元気で留守がいい |
♪社会の出来事 | 三原山大噴火 チャールズ皇太子とダイアナ妃が来日 |
♪プロ野球の優勝チーム | セ:広島73勝46敗11引 パ:西武68勝49敗13引 |
♪プロ野球の最優秀選手 | セ:北別府学(広島) パ:石毛宏典(西武) |
♪春の甲子園優勝校 | 池田(バッテリー:梶田−藤原) |
♪夏の甲子園優勝校 | 天理(バッテリー:本橋−藤本) |