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ヤクルト | 広島 | 大洋 | 阪神 | 中日 | 読売 | ドラフト概要 |
近鉄 | ロッテ | 阪急 | 西武 | 日本ハム | 南海 | 選択方法 |
この年は、畠山準(池田高)と荒木大輔(早稲田実高)の甲子園人気選手と、実力派の田中富生(法政大)に注目が集まった。 ●甲子園のスーパースター・荒木大輔(早稲田実高)に巨人とヤクルトが競合 調布リトルでノーヒットノーラン5回、小学6年でリトル世界制覇を達成。早稲田実業高では、高校一年夏、二年春・夏、三年春・夏と、全ての甲子園へ出場する快挙。 圧巻だったのは高校1年年夏で、決勝戦で愛甲猛(1980年ロッテ1位)がエースの横浜高に敗れるまで、44回1/3無失点記録をうちたてた。 高校二年春、二年夏、三年春、三年夏の甲子園にも出場するが、結局、一度も優勝できずに終わった。高校時代の人気はアイドルスターなみで、早稲田実高の試合があると、彼を見たさに女子中高生がどっと押し寄せた。「大ちゃん」の愛称で親しまれたスター選手。 早稲田大進学希望のためプロ拒否を表明するが、プロがこの人気の高さをほっとくわけがなく、巨人とヤクルトが1位指名し、抽選によりヤクルトへ。プロでは入団五年目に10勝をマークするも、故障に苦しみ、通算成績は、180試合登板、39勝49敗2セーブ、防御率4.80。 ●池田高のエースで四番の畠山準は南海1位 池田高のエースとして、高校3年・夏の甲子園に出場。高校生離れした重い速球で池田を優勝に導いた。打者としても優秀でチームの主軸を打ち、3番江上(2年)、4番畠山、5番水野(2年・翌年エース)と続く打線は、「やまびこ打線」とよばれ、他校に恐れられた。 プロでは入団2年目に、153回投げて5勝12敗0セーブ、防御率4.24。しかしそれ以降伸び悩み、5年目に野手転向。1990年自由契約になり、拾ってもらった大洋で打者としての素質を開花させた。 ●斉藤雅樹(市立川口高)はハズレ1位で巨人へ 高校3年夏の埼玉大会決勝戦で熊谷高に敗れ、あと一歩のところで甲子園を逃すも、オーバーハンドから投げ下ろす快速球は注目を集めた。 ドラフト会議では荒木大輔の抽選を外した巨人に1位指名され入団。プロ入り後はサイドスローに改造し、最多勝利5回、最優秀防御率3回など、数々のタイトルを獲得し、巨人のエースとして活躍。 ●法政大の西田真二は広島、木戸克彦は阪神へ ともにPL学園高〜法政大。高校時代は西田真二が投手、木戸克彦は捕手として甲子園に出場し、全国制覇を達成した。9回土壇場からの逆転につぐ逆転での優勝に、「奇跡のPL」、「神懸かりPL」と称された。 法政大進学後、西田は野手に転向し、六大学通算打率.314。木戸は五季連続ベストナイン。ドラフト会議では、西田が田中富生(法政大)の抽選に敗れた広島に1位指名、木戸は相思相愛の阪神に1位指名され、それぞれ入団。 ●その他、指名された主な選手は 投手では、通算53勝の「ニャンコ」こと藤本修二(南海5位)、通算39勝13セーブの白武佳久(広島2位)、通算36勝14セーブで中継ぎとして活躍した鹿島忠(中日1位)。 野手では、バントの名手・川相昌弘(巨人4位)、通算100盗塁の高橋雅裕(大洋4位)、1989年に26本塁打を打った彦野利勝(中日5位)、1984年にパ・リーグ新人王の藤田浩雅(阪急3位)、1983年にパ・リーグ新人王の二村忠美(日本ハム3位)などが指名された。 |
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♪日本レコード大賞 | 細川たかし「北酒場」 |
♪最優秀新人賞 | シブがき隊「100%・・・Soかもね」 |
♪世相や流行 | 校内暴力深刻化 貸しレコード屋流行 |
♪流行言葉 | バリバリ ねくら ウッソー ホントー カワユーい |
♪社会の出来事 | フォークランド紛争 日航機の羽田沖墜落 |
♪プロ野球の優勝チーム | セ:中日64勝47敗19引 パ:西武68勝58敗4引 |
♪プロ野球の最優秀選手 | セ:中尾孝義(中日) パ:落合博満(ロッテ) |
♪春の甲子園優勝校 | PL学園(バッテリー:榎田−森) |
♪夏の甲子園優勝校 | 池田(バッテリー:畠山−山下) |