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ヤクルト | 広島 | 横浜 | 阪神 | 中日 | 読売 | ドラフト概要 |
近鉄 | ロッテ | オリックス | 西武 | 日本ハム | ダイエー | 選択方法 |
この年から社会人、大学選手に限り、1、2位指名選手に球団選択の自由を認める方式に改正された。これによりドラフト会議が非常につまらなくなった。 ●逆指名制度が始まり契約金は青天井 この年から選手に「逆指名権」が与えられた。選手からの逆指名を勝ち取るために契約金は青天井になり、契約金1億円以上の選手が続出した。 しこたま金をもらった一部の選手は、税金逃れのために名古屋市の経営コンサルタントから指南を受けて所得税を脱税。しかし四年後の1997年に発覚し、球界を揺るがす大騒動となった。そればかりでなく、経営コンサルタントに他の選手を紹介して、多額の「紹介料」をもらっていた選手がいたこともわかり、「永久追放だ。処分が甘い」の声もあがった。
この事件は新聞やテレビで詳しく報道され、当時のマスコミは当然のことながら、小久保被告、波留被告…と、「被告」をつけてよんでいた。 ●ドラフトの目玉・小久保裕紀(青山学院大)はダイエーを逆指名 星林高〜青山学院大。高校時代は甲子園出場なし。星林高では投手だったが、青山学院大で野手転向。3年の時、バルセロナ五輪に学生からただ一人選出され、2本のホームランを打ち、銅メダル獲得に貢献した。 ドラフトの目玉・小久保争奪戦は、巨人とダイエーの一騎うちになり、結局、小久保はダイエーを逆指名。ダイエーは小久保を2位でおさえ、渡辺(神奈川大)を1位指名したが、契約金は小久保のほうが多かった。 プロでは1995年に本塁打王、1997年に打点王のタイトルを獲得。順風満帆にみえたが、1997年シーズンオフに球界を震撼させた脱税事件が発覚。翌年は出場停止や故障があり、わずか17試合の出場で終わった。2000年に復活、31本塁打、打率.288の好成績を残し、チームの優勝に貢献した。 ●四国の怪童・平井正史(宇和島東高)はオリックスへ 宇和島東高のエースとして、高校3年の春夏甲子園へ出場。春のセンバツは常総学院に3−9で初戦敗退。しかしその屈辱をバネに大きく成長し、夏の甲子園では広田庄司(1999年ダイエー2位)の海星から、MAX147キロの速球で13個の三振を奪い、スカウトの評価が一気に上がった。 プロでは抑えの切り札として起用され、入団2年目に、53試合登板し、15勝5敗27セーブ、防御率2.32の好成績で、新人王のタイトルを獲得。 ●即戦力候補1サウスポー・河原隆一(関東学院大)は横浜逆指名 横浜商高〜関東学院大。高校3年春の甲子園では、種田(中日)、元木(巨人)の上宮高に敗れるも、ベスト4進出。大学で球速が増し、大学野球選手権・久留米大戦で、 17奪三振の大会記録を樹立し、注目を集めた。 ドラフト会議では、地元・横浜を逆指名し入団。「大学1投手。左の利もあり、1年目から10勝はいける」との前評判だったが、コントロール難が災いして、現在までパッとした成績を残してない。 ●速球王・石井貴(三菱重工横浜)は西武へ 藤嶺藤沢高〜三菱重工横浜。高校時代はおもに内野手で甲子園出場なし。社会人入りしてから伸び、日本選手権で151キロをマークし注目された。 プロでは、「即戦力」と期待されたが、1年目は泣かず飛ばず。2年目に2勝、3年目に3勝4セーブと、着々と実績を残し、4年目に待望の10勝をマークした。兄も1986年ドラフト会議で大洋に2位指名されたが、拒否。 ●その他、指名された主な選手は PL学園高のエースで桑田二世とよばれた松井和夫(西武3位)、メジャーで活躍中の大家友和(横浜3位)、貴重な左の中継ぎ・岡島秀樹(巨人3位)、阪神のエース格・藪恵壹(阪神1位)、38年ぶりの優勝に貢献した波留敏夫(横浜2位)、1996年パ・リーグ新人王の金子誠(日本ハム3位)、2年連続10勝をマークした関根裕之(日本ハム1位)、近鉄の韋駄天男・大村直之(近鉄3位)らが指名された。 |
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♪日本レコード大賞 | 香西かおり「無言坂」 |
♪最優秀新人賞 | 山根康広「Get Along Together」 |
♪世相や流行 | サッカーのプロリーグ・Jリーグが誕生し大ブーム |
♪流行言葉 | ジュリセン コギャル ナタ・デ・ココ ポケベル |
♪社会の出来事 | 皇太子と雅子さまご結婚 細川連立内閣誕生 |
♪プロ野球の優勝チーム | セ:ヤクルト80勝50敗2引 パ:西武74勝53敗3引 |
♪プロ野球の最優秀選手 | セ:古田敦也(ヤクルト) パ:工藤公康(西武) |
♪春の甲子園優勝校 | 上宮(バッテリー:牧野−松久) |
♪夏の甲子園優勝校 | 育英(バッテリー:井上−渡辺) |