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ヤクルト | 広島 | 横浜 | 阪神 | 中日 | 読売 | ドラフト概要 |
近鉄 | ロッテ | オリックス | 西武 | 日本ハム | ダイエー | 選択方法 |
この年の注目選手は「10年に一人の逸材」といわれる福留孝介(PL学園)。高校生としてはドラフト史上最高となる7球団が競合した。 ●甲子園の怪物・福留孝介(PL学園)に七球団が競合 鹿児島県から大阪・PL学園高に野球留学。高校3年夏の大阪大会では、決勝の市岡戦までの8試合で7本塁打をマークし、高校の先輩・清原和博(PL学園〜西武)の5本を更新。さらに甲子園・1回戦の北海道工戦で、2打席連続本塁打を放ち、「10年に一人の逸材」と騒がれた。 ドラフト会議では、巨人、中日、ヤクルト、近鉄、日本ハム、ロッテ、オリックスの7球団の競合の末、近鉄が交渉権を獲得。見事あたりくじを引き当てた近鉄・佐々木監督は「よっしゃー」と勝利の雄叫びをあげるも、福留は近鉄への入団を拒否し、日本生命に進んだ。 ●天才・仁志敏久(日本生命)は巨人逆指名 常総学院高〜早稲田大〜日本生命。常総学院高時代は高校一年夏、二年夏、三年夏と、三回甲子園へ出場。特に1年時の活躍は目をみはるものがあり、上原(沖縄水産〜中日)、伊良部(尽誠学園〜ロッテ)、木村(中京〜青学大〜巨人)、川島(東亜学園〜広島)、野村(PL学園〜大洋)と、後にプロ入りする投手相手に、22打数8安打、1本塁打の活躍で、準優勝に貢献した。 高校卒業後、早稲田大へ進学。大学では、4年春のリーグ戦で、東京六大学タイ記録となる6本塁打を放ち、大学通算11本塁打をマーク。日本生命を経て、巨人を逆指名し入団。プロ1年目に114試合出場し、7本塁打、打率.270をマークし、新人王を獲得。ゴールデングラブ賞を四回受賞(2002年まで)した守備の名手。 ●「西の福留、東の澤井」…澤井良輔(銚子商)は地元のロッテへ 銚子商高の4番打者として、春のセンバツは準優勝、夏の選手権はベスト8進出に貢献。甲子園では高校生離れしたバッティングを披露し、「西の福留、東の澤井」と称された。 ドラフトでは地元のロッテが1位指名。将来の四番として期待されて入団したが、現在までパッとした成績を残していない。 ●高木大成(慶応大)は西武逆指名 桐蔭学園〜慶応大。高校時代は、副島孔太(2年・のちにヤクルト)、高橋由伸(1年・のちに巨人)とともに甲子園へ出場し、11打数6安打、打率.352の大暴れ。高校生離れした強肩と絶妙の牽制、そして高校野球では珍しい審判への抗議、足も速く、キャッチャーとしては異例の1番打者として甲子園を沸かせた。 高校卒業後、慶応大へ進学し、通算13本塁打をマーク。プロでは2年目に規定打席に到達。高校〜大学と、捕手として評価されていた高木だが、プロでは一塁手部門でゴールデングラブ賞を二回受賞。 ●野村克也監督の息子はヤクルト3位指名 堀越高〜明治大。高校時代は甲子園出場こそならなかったが、南海ホークスで活躍した野村克也の息子ということで話題の選手だった。 明治大2年の秋リーグ戦で首位打者と打点王のタイトルを獲得。翌年、捕手転向。慣れないポジションで打率はがた落ちしたが、実父が監督をつとめるヤクルトに3位指名され入団。1999年、実父・野村克也は阪神の監督になり、翌年、追うように克則も阪神へ移籍。 長嶋茂雄の長男・一茂が巨人へ移籍した際に、「父子が同じチームでやるのは好ましくない」と苦言を呈した野村克也氏であるが、やはり我が子が可愛かったか。 ●その他、指名された主な選手は 投手では、カープの若きエース・長谷川昌幸(広島1位)、2年連続10勝の門倉健(中日2位)、 2年目に10勝をマークした岡本晃(近鉄2位)。 野手では、入団5年目に3割をマークした武藤孝司(近鉄3位)、俊足巧打の大友進(西武2位)、打率3割の常連・清水隆行(巨人3位)らが指名された。 |
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♪日本レコード大賞 | trf「OVERNIGHT SENSATION」 |
♪最優秀新人賞 | 美山純子「桃と林檎の物語」 |
♪世相や流行 | 減肥石鹸&スヴェルト流行 野茂フィーバー |
♪流行言葉 | ああ言えば上祐 変わらなきゃ 第7サティアン |
♪社会の出来事 | 阪神大震災 地下鉄サリン事件 |
♪プロ野球の優勝チーム | セ:ヤクルト82勝48敗 パ:オリックス82勝47敗1引 |
♪プロ野球の最優秀選手 | セ:オマリー(ヤクルト) パ:イチロー(オリックス) |
♪春の甲子園優勝校 | 観音寺中央(バッテリー:久保−森) |
♪夏の甲子園優勝校 | 帝京(バッテリー:白木−坂本) |