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ヤクルト | 広島 | 大洋 | 阪神 | 中日 | 読売 | ドラフト概要 |
近鉄 | ロッテ | 阪急 | 西武 | 日本ハム | 南海 | 選択方法 |
この年は、東京六大学のホームランバッター・岡田彰布(早稲田大)と、前年広島1位拒否の木田勇(日本鋼管)が「ビッグ2」とよばれ、どこに指名されるか注目された。 ●東京六大学のスラッガー・岡田彰布(早稲田大)に六球団が競合 北陽高〜早稲田大。高校時代は1973年夏の甲子園へ出場。1年生ながらレギュラーで出場し、先輩の慶元秀章(1973クラウン4位)らとともに三回戦進出に貢献。 高校卒業後、早稲田大へ進学。東京六大学リーグで、通算20本塁打(歴代2位)、通算打率.379(連盟記録)をマークし、田淵以来の大物と騒がれた。ドラフト会議では、西武、ヤクルト、南海、阪神、阪急、近鉄の史上最多の六球団が1位指名し、抽選により阪神へ入団。 ミスタータイガースこと・掛布雅之と守備位置がダブるため、プロ入り後、セカンドへコンバート。プロ入団1年目に、18本塁打、打率.290の好成績をあげ、新人王のタイトルを獲得。 1985年4月16日に行なわれた巨人戦での、バース、掛布、岡田の三連発は、今でも阪神ファンの語り草。通算成績は、1639試合出場し、1520安打、247本塁打、打率.277。 ●前年、広島1位指名を拒否した木田勇(日本鋼管)に三球団が競合 横浜商大付高〜日本鋼管。高校時代は甲子園不出場も、神奈川ではナンバーワンサウスポーと称され、夏予選でベスト4進出。高校卒業後、日本鋼管へ入社。社会人野球では1978年都市対抗野球で久慈賞を受賞。 昨年(1978年)のドラフト会議で広島に1位指名されるも、希望していた在京セ・リーグではなかった為、拒否した木田に、巨人、日本ハム、大洋の三球団が指名し、抽選により日本ハムへ入団。 プロでは1年目に、22勝8敗4セーブと大活躍し、MVP、新人王、最多勝利、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振、ベストナイン、ダイヤモンドグラブ賞と、タイトルを総なめにした。しかし2年目から成績は下降線を辿り、通算成績は、273試合出場し、60勝71敗6セーブ、防御率4.23。 ●ドカベンこと香川伸行(浪商高)は南海へ 浪商高では、牛島和彦(中日ドラフト1位)とバッテリーをくみ、高校3年春、3年夏と、二回甲子園へ出場。牛島には女子中高生親衛隊、香川にはチビッ子のファンがつき、凄まじい人気で甲子園を沸かせた。 身長172cm・体重95kgと、人気漫画「ドカベン」の主人公、山田太郎ばりの身体から長打を連発し、「ドカベン」の愛称で親しまれた。最後の夏の甲子園では3試合連続本塁打をマークした。 ドラフト会議前には、「あの体ではプロは無理」、「いやいや十分いける」と、賛否両論あったが、南海に2位指名され入団。プロでは、入団1年目に初打席初本塁打の衝撃的なデビューを飾った。入団4年目には規定打席不足ながら.313の高打率をマーク。 しかし日頃の不摂生が崇り、高校時代の体重95kgが130kgに増え、肥満が原因で28歳の若さで解雇された。 ドラフト会議で指名された時のコメントは、「野村さんのように長くやれる選手になりたい。体重95kgは、コーチからいわれれば落とします」(1979年11月28日の朝日新聞より)・・・落とすどころか逆に35kgも増えたわけだが、入団前の気持ちを持ち続ければきっと大成しただろう。 ●その他、指名された主な選手は 投手では、高校時代にドカベン香川とバッテリーを組みプロ通算53勝126セーブの牛島和彦(中日1位)、7年連続2ケタ勝利で通算100勝の山内孝徳(南海3位)。 打者では、1988年に首位打者に輝いた高沢秀昭(ロッテ2位)、通算906安打の岡崎郁(巨人3位)、通算119盗塁の北村照文(阪神3位)らが指名された。 |
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♪日本レコード大賞 | ジュディ・オング「魅せられて」 |
♪最優秀新人賞 | 桑江知子「私のハートはストップモーション」 |
♪世相や流行 | 口裂け女騒動 インベーダーゲーム大流行 |
♪流行言葉 | 天中殺 ワンパターン ウサギ小屋 |
♪社会の出来事 | 東京サミット 東名日本坂トンネル事故 |
♪プロ野球の優勝チーム | セ:広島67勝50敗13引 パ:近鉄74勝45敗11引 |
♪プロ野球の最優秀選手 | セ:江夏豊(広島) パ:アニマル(近鉄) |
♪春の甲子園優勝校 | 箕島(バッテリー:石井−嶋田) |
♪夏の甲子園優勝校 | 箕島(バッテリー:石井−嶋田) |