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ヤクルト | 広島 | 大洋 | 阪神 | 中日 | 読売 | ドラフト概要 |
近鉄 | ロッテ | 阪急 | クラウン | 日本ハム | 南海 | 選択方法 |
この年のドラフトは、怪物・江川一色ムード。 ●怪物・江川卓(法政大)はクラウン1位拒否 作新学院高時代は怪物とよばれ騒がれた。高校卒業時のドラフトでは阪急に1位指名されるも拒否し、法政大へ進学。大学では1年秋からエースとして活躍し、東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。 そしてこの年のドラフト。いの一番くじをひいたクラウンは、親会社が不安定なこともあり、まず江川指名はありえないだろうと誰もが思いきや、躊躇せずに1位指名。 クラウン・中村オーナーは、指名後、直々に、江川の後見人・船田中代議士事務所へ挨拶。法政大OBのクラウン・根本監督と青木球団取締役は江川の下宿に出向き、指名挨拶を交わすなど、江川獲得に向けての始動は早かったが、江川卓は、「九州は遠い」という理由で、クラウンライターへの入団を拒否し、作新学院職員の肩書きでアメリカに野球留学した。 ●夏の甲子園優勝投手・松本正志(東洋大姫路高)は阪急へ 東洋大姫路高のエースとして、夏の甲子園出場。決勝戦では、1年生のバンビ坂本(東邦高)と投げ合い、延長10回の熱戦の末、甲子園優勝投手に輝いた。 プロでは、「江夏二世」と将来を期待されたが、コントロール難が原因で、大成せずに終わった。 ●山倉和博(早稲田大)は巨人へ 東邦高〜早稲田大。高校3年のときに春夏甲子園へ出場し、春はベスト8進出、夏は初戦敗退。同年、ドラフト会議で南海に2位指名されるも、これを拒否し早稲田大へ進学。 大学では強肩強打の捕手としてならした。プロでは入団三年目にレギュラーを獲得し、1987年には最優秀選手に輝いた。 ●子連れルーキー・門田富昭(西南学院大)は大洋1位 小倉商高〜西南学院大。九州六大学リーグで通算42勝。大学生でありながら一児の父親の門田は、「子連れルーキー」とよばれ、話題をよんだ。通算成績は31勝41敗1セーブ、防御率5.14。 ●その他、指名された主な選手は 投手では、最多勝を2回(1983年、1984年)獲得した遠藤一彦(大洋3位)、最多勝2回(1985年、1987年)、最優秀防御率1回(1985年)のタイトルを獲得した小松辰雄(中日2位)、通算112勝の尾花高夫(ヤクルト4位)。 野手では、1986年から1988年にかけて三年連続盗塁王の屋鋪要(大洋6位)、通算1406安打の古屋英夫(日本ハム2位)、1989年にサイクル安打を達成した田村藤夫(日本ハム6位)、ゴールデングラブ賞を三回受賞の達川光男(広島4位)、通算519安打の袴田英利(ロッテ1位)、通算619安打の佐藤健一(ロッテ5位)らが指名された。 |
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♪日本レコード大賞 | 沢田研二「勝手にしやがれ」 |
♪最優秀新人賞 | 清水健太郎「帰らない」 |
♪世相や流行 | 落ちこぼれ問題深刻化 スーパーカーブーム |
♪流行言葉 | よっしゃよっしゃ 普通の女の子に戻たい |
♪社会の出来事 | 青酸コーラ事件 王貞治が756号の世界新本塁打 |
♪プロ野球の優勝チーム | セ:巨人80勝46敗4引 パ:阪急69勝51敗10引 |
♪プロ野球の最優秀選手 | セ:王貞治(巨人) パ:山田久志(阪急) |
♪春の甲子園優勝校 | 箕島(バッテリー:東−赤尾) |
♪夏の甲子園優勝校 | 東洋大姫路(バッテリー:松本−安井) |