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サンケイ | 広島 | 大洋 | 阪神 | 中日 | 読売 | ドラフト概要 |
近鉄 | 東京 | 阪急 | 西鉄 | 東映 | 南海 | 選択方法 |
この年一番の注目選手は、東京六大学のスター・高田外野手(明大)。その他、宮本(中大)、藤原(慶大)、三輪田(早大)の大学生投手組がどこに指名されるか注目された。 ●東京六大学の花形・高田繁(明治大)は巨人へ 浪商高〜明治大。高田繁は大学4年間で127安打、48盗塁を記録し、全球団マークの注目選手だが、本人が巨人を熱望していたため、他球団は拒否を恐れて指名せず、指名順位7番目の巨人に指名され入団。 プロでは俊足巧打を売りに、イブシ銀の活躍で巨人V9を支えた。「塀際の魔術師」の異名をもち、レフト守備も光った。1971年に盗塁王のタイトルを獲得。 ●後にマサカリ投法で一世を風靡した村田長次(福山電波工高)は東京へ 福山電波工高では甲子園不出場。将来性を買われて、指名順位6番目の東京に指名され入団。 プロ入り4年目に、足を高く上げる独特のフォーム・まさかり投法を完成。プロ通算成績は、215勝177敗33セーブ、防御率3.24。最多勝(1981年)、最優秀防御率3回(1975年、1976年、1989年)、最多セーブ(1975年)などのタイトルを獲得。晩年、ひじの故障から奇跡の復活をし、「サンデー兆治」とよばれた。 ●下手投げの高橋直樹(日本鋼管)は東映3位 1963年、津久見高のエースとして夏の甲子園出場するも、一回戦で中京商に3−4で敗退。 早稲田大〜日本鋼管を経て、東映3位指名入団。プロ1年目に13勝をあげ、その後はファイターズのエースとして君臨した。1981年に江夏とのトレードで広島へ移籍するが、セ・リーグの水は合わず、翌年西武へ移籍。通算成績は、169勝158敗13セーブ 防御率3.32。 1973年、近鉄戦でノーヒットノーランを達成。メガネとひげがトレードマークの下手投げ投手。 ●松岡弘(三菱重工水島)はサンケイ5位 倉敷商高〜三菱重工水島。倉敷商高では星野仙一の一年後輩。同県の平松政次(岡山東商〜日本石油〜大洋)は同じ年齢。 プロでは1980年に最優秀防御率のタイトルを獲得。200勝目前に引退したのは惜しまれる。 ●東京六大学のエース・三輪田勝利(早稲田大)は近鉄拒否 近鉄に1位指名された東京六大学のエース・三輪田勝利(早稲田大)は中日希望の為、指名を拒否し、大昭和製紙へ。 ●その他、指名された主な選手は 投手では、通算143勝の山内新一(巨人2位)、最多勝(1977年)と最優秀防御率(1982年)のタイトルを獲得した高橋里志(南海4位)、通算54勝30セーブの宮本幸信(阪急2位)。 野手では、1969年のパ・リーグ首位打者で水島漫画「あぶさん」のモデル・永淵洋三(近鉄2位)、1974年に盗塁王のタイトルを獲得した中塚政幸(大洋2位)、通算1634安打の小川亨(近鉄3位)、1975年に打率2位の井上弘昭(広島1位)、通算166死球で「死球王」の異名をもつ竹之内雅史(西鉄3位)、通算763安打の東田正義(西鉄2位)らが指名された。 |
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♪日本レコード大賞 | ジャッキー吉川とブルーコメッツ「ブルー・シャトー」 |
♪最優秀新人賞 | 永井秀和「恋人と呼んでみたい」 佐良直美「世界は二人のために」 |
♪世相や流行 | ミニスカートが流行 |
♪流行言葉 | ハプニング ボイン |
♪社会の出来事 | 美濃部亮吉が東京都知事に |
♪プロ野球の優勝チーム | セ:巨人84勝46敗4引 パ:阪急75勝55敗4引 |
♪プロ野球の最優秀選手 | セ:王貞治(巨人) パ:足立光宏(阪急) |
♪春の甲子園優勝校 | 津久見(バッテリー:吉良−山田) |
♪夏の甲子園優勝校 | 習志野(バッテリー:石井−醍醐) |