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ヤクルト | 広島 | 大洋 | 阪神 | 中日 | 読売 | ドラフト概要 |
近鉄 | ロッテ | オリックス | 西武 | 日本ハム | ダイエー | 選択方法 |
この年から指名枠が1チーム「六人」から「十人」に増えた。また5巡目以降はウェーバー方式が採用されることになった。それと「プロ拒否選手を指名しない」ことが申し合わされ、進学希望の選手や会社残留の選手を強引に指名する球団はなく、平穏なドラフト会議となった。 ●世界のイチロー・鈴木一朗(愛工大名電高)はオリックス4位という低評価 意外や意外、イチローこと、鈴木一朗(愛工大名電高)は4位指名という低評価。甲子園は高校2年夏、高校3年春の二回出場するも、ともに初戦で敗れ、話題にすらならなかった。 甲子園では一つも勝てなかったが、プロでの活躍は周知の通りで、「振り子打法」をマスターし、1994年から7年連続で首位打者のタイトルを獲得する脅威的な活躍。2001年シアトルマリナーズに移籍。1年目、打率.350、盗塁56をマークし、首位打者と盗塁王のタイトルを獲得。日本人初のMVP選手となった。 ●ドラフトの目玉・若田部健一(駒沢大)に四球団が競合 鎌倉学園高〜駒沢大。高校時代は甲子園出場なし。大学3年秋に、17奪三振の東都リーグ記録をマーク。140キロ台後半のストレートと切れのいい変化球で注目された。 在京セ・リーグを希望したが、ドラフト会議で若田部を指名したのは、巨人、広島、西武、ダイエーの4球団で、抽選によりダイエーが交渉権獲得。希望外のダイエーからの指名で「プロ拒否も?」と思われたが、指名後の会見では水を一気飲みした後に、「ダイエーに行きます」と潔く発言。ダイエーでは、1999、2000年の優勝に大きく貢献。 ●斎藤隆(東北福祉大)に大洋と中日が競合 東北高〜東北福祉大。高校時代は一塁手として甲子園へ出場。二回戦で芝草宇宙(日本ハム)の帝京と対戦し、屈辱的なノーヒットノーランで敗れた。 大学2年で投手に転向、大学日本一も経験。長身から投げる力のある速球と未完の魅力が買われ、中日と大洋が指名し、抽選により大洋が交渉権獲得。プロでは入団二年目に開花、8勝をあげ、以後、右のエース格として活躍。2001年、抑えに転向。 ●左の大器・石井一久(東京学館浦安高)はヤクルトへ 東京学館浦安高3年夏の千葉予選5回戦で、準優勝した銚子商に0−1で惜敗し、甲子園出場歴なし。しかし15個の三振を奪う力投で、この大会、35イニング投げて奪三振52を記録。石井一久の父とヤクルト・石岡コーチがいとこ同士ということもあり、小学生の頃からプロに入るならヤクルトと決めてたらしく、ドラフト指名時のコメントは、「嬉しい。野村監督にいろいろ教えてもらいたいことがいっぱいある」 ヤクルトでは左のエースとして活躍し、通算成績は244試合登板し、78勝46敗1セーブ、防御率3.38。最多奪三振、最優秀防御率のタイトルを獲得。2002年ドジャースへ移籍。1年目の成績は、14勝10敗、防御率4.27と好成績を残した。 ●その他、指名された主な選手は フルスイングでファンを魅了する中村紀洋(近鉄4位)、大リーグへ移籍した田口壮(オリックス1位)、中継ぎの切り札・落合英二(中日1位)、カープの長距離砲の金本知憲(広島4位)、ハマの番長こと三浦大輔(大洋6位)、守備の達人・久慈照嘉(阪神2位)、PL学園時代に立浪や野村らとともに春夏連覇の片岡篤史(日本ハム2位)らが指名された。 |
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♪日本レコード大賞 | KAN「愛は勝つ」 北島三郎「北の大地」 |
♪最優秀新人賞 | Mi-Ke「想い出の九十九里浜」 唐木淳「やせがまん」 |
♪世相や流行 | 若貴ブーム 茶髪 |
♪流行言葉 | いちおう 反省(反省ポーズの猿) |
♪社会の出来事 | 雲仙・普賢岳で火砕流 湾岸戦争勃発 ソ連崩壊 |
♪プロ野球の優勝チーム | セ:広島74勝56敗2引 パ:西武81勝43敗6引 |
♪プロ野球の最優秀選手 | セ:佐々岡真司(広島) パ:郭泰源(西武) |
♪春の甲子園優勝校 | 広陵(バッテリー:塩崎−島村) |
♪夏の甲子園優勝校 | 大阪桐蔭(バッテリー:和田−白石) |