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ヤクルト | 広島 | 大洋 | 阪神 | 中日 | 読売 | ドラフト概要 |
近鉄 | ロッテ | 阪急 | 西武 | 日本ハム | 南海 | 選択方法 |
この年は甲子園の怪物・清原和博(PL学園高)と、即戦力の呼び声高い伊東昭光(本田技研)に注目が集まった。 ●甲子園の怪物・清原和博(PL学園)に6球団が競合 PL学園高の四番打者として、高校一年夏、二年春、二年夏、三年春、三年夏と、全ての甲子園へ出場。一年生・夏の甲子園では、高知商の津野浩(日本ハム3位)から3安打、横浜商の三浦将明(中日3位)から本塁打を打ち、優勝に貢献。高校二年夏の甲子園では1試合3本塁打の活躍で準優勝に貢献。高校三年夏の甲子園では大会5本塁打を放ち優勝に貢献するなど、甲子園では凄まじい活躍で「怪物」の異名を取った。 ドラフト前から巨人入りを熱望し、「巨人の1位は清原で決まり」ではと囁かれた。その一方で、チームメートの桑田真澄投手は早稲田大進学が決定的で、プロ入りは100%ないものだと思われていた。しかしフタを開けると清原を指名したのは、南海、日本ハム、中日、近鉄、西武、阪神の6球団で、抽選により西武が交渉権を獲得。 巨人は清原ではなく、桑田を入札1位指名。清原を指名せずに世間の批判を浴びた巨人だが、ハズレ1位(または2位以下でも)取れた桑田をなぜ1位指名したのか摩訶不思議。
その後、PL学園・中村監督は道義上の責任を感じ、辞任を申し入れた。(慰留され辞任はせず)。また桑田巨人入団により、早稲田大はPL学園野球部から選手をとらなくなった。明治・法政など他の東京六大学も同調、これがPL学園の低迷期へと繋がっていくことになる。 指名後の記者会見で悔し涙を流した清原は、1997年、憧れの巨人に移籍。 ●土佐の怪童・中山裕章(高知商)は大洋1位 高校一年夏、三年夏の二回甲子園へ出場。高校三年夏の甲子園・2回戦の志度商戦では立ち上がりから飛ばし、6連続奪三振を記録。スピードガンは、145、140、142、145と、軒並み140キロを突破し、「尾崎、池永を思わせる久しぶりの剛速球投手」と、プロの評価が一気に上がった。 当時のスポーツ紙のスカウト語録をみると、「剛の中山、柔の桑田(PL学園)」、「将来性では中山のほうが上」、「惚れ惚れする馬力。高校時代の江川に似ている」など、桑田よりも中山を高く評価するコメントが多かった。 ドラフト会議では大洋が一本釣りに成功し、単独1位指名。プロ入団2年目に5勝、3年目には10勝6敗24セーブ、防御率2.28の好成績をおさめた。後に先発に転向しエース街道を突っ走っていたが、強制わいせつ容疑で逮捕され、大洋をクビになった。その後、被害者との和解が成立し、1994年にプロ復帰。通算成績は、423試合出場し、51勝71敗62セーブ 防御率3.83。不祥事により一時プロ野球界を離れていたのは非常に残念。 ●ロサンゼルス五輪のエース・伊東昭光(本田技研)に3球団が競合 帝京高〜本田技研。高校2年の時、1980年センバツ大会に出場。決勝戦は「球道くん」こと中西清起(後に阪神)の高知商と対戦し、延長10回、0−1でサヨナラ負け。惜しくも準優勝に終わった。 甲子園に出たのはこれ1回だけで、あとは一つ年下の荒木大輔(早稲田実〜ヤクルト)に阻まれた。高校卒業後、本田技研に入社。ロサンゼルス五輪に出場し、金メダル獲得に貢献。 ドラフト会議では、ヤクルト、阪急、ロッテの3球団が1位指名し、抽選によりヤクルトへ。プロ入3年目に18勝をマークし最多勝を獲得するなど、ヤクルトの右のエースとして活躍した。 ●その他、指名された主な選手は 投手では、巨人のエース・桑田真澄(巨人1位)、プロ通算76勝の園川一美(ロッテ2位)、速球王・長富浩志(広島1位)、通算29勝30セーブ・中継ぎとして活躍した広田浩章(巨人2位)ら。 野手では、日本ハムの和製大砲・田中幸雄(日本ハム3位)、守備の名手で通算700安打の本西厚博(阪急4位)、入団8年目にポジションを獲得した遅咲き・広瀬哲朗(日本ハム1位)、1987年度セ・リーグ新人王の荒井幸雄(ヤクルト2位)らがプロで活躍。 |
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♪日本レコード大賞 | 中森明菜「ミ・アモーレ」 |
♪最優秀新人賞 | 中山美穂「C」 |
♪世相や流行 | 阪神優勝フィーバー ロス疑惑の三浦和義逮捕 |
♪流行言葉 | エッチする チェックする うざったい 金妻 |
♪社会の出来事 | 日航ジャンボ機墜落事故 豊田商事事件 |
♪プロ野球の優勝チーム | セ:阪神74勝49敗7引 パ:西武79勝45敗6引 |
♪プロ野球の最優秀選手 | セ:バース(阪神) パ:落合博満(ロッテ) |
♪春の甲子園優勝校 | 伊野商(バッテリー:渡辺−柳野) |
♪夏の甲子園優勝校 | PL学園(バッテリー:桑田−杉本) |