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ヤクルト | 広島 | 大洋 | 阪神 | 中日 | 読売 | ドラフト概要 |
近鉄 | ロッテ | 阪急 | 西武 | 日本ハム | 南海 | 選択方法 |
かい人21面相のグリコ・森永事件があったこの年のドラフト会議は不作とよばれたが、下位指名に実力派が揃った。 ●この年の注目は広沢克己と竹田光訓の明治大コンビ 広沢は小山高から、竹田は日大一高から明治大学へ進学。ともに甲子園出場歴はないものの、大学で大きく成長。 東京六大学リーグ戦で通算18本塁打、ロサンゼルス五輪で3本塁打を打ったパワーヒッター・広沢には、日ハム、ヤクルト、西武の3球団の指名が重なり、抽選によりヤクルトが交渉権獲得。 大学通算21勝、日米大学野球で2年連続最優秀選手に選ばれた即戦力候補1投手の竹田には、大洋、巨人、中日の3球団の指名が重なり、抽選の結果、大洋に確定。 プロでは、広沢はヤクルトの四番打者として大活躍するも、竹田はわずか1勝しかできず、現在ベイスターズの広報担当。 ●嶋田兄弟(弟・章弘と兄・宗彦)が阪神へ 嶋田兄弟が同一チームに指名され話題になった。 弟の嶋田章弘は、高校2年夏、3年夏と二回甲子園へ出場。高校2年夏の甲子園は吉井理人(近鉄2位)の控えで1イニングだけ登板。3年夏の甲子園では優勝候補の一角に名前が挙がるも、優勝した取手二高に1回戦で敗退した。 しかし、「一つ先輩の吉井理人より素質は上」と、プロから高く評価され、 ドラフト会議では広島と阪神が1位指名し、抽選により阪神へ。 プロでは入団1年目の中日戦で7回まで無安打無得点に抑え、将来のタイガースのエースと期待されたが、2年目に肩を壊し、野手に転向。 兄の嶋田宗彦は箕島高時代に、2年春、2年夏、3年春、3年夏と、合計四回甲子園へ出場。下手投げエース・石井毅(箕島高〜住友金属〜昭和57年西武3位)とのバッテリーで、3年生の時には甲子園春夏連覇の偉業を達成した。星稜高との延長18回の死闘は今でも高校野球ファンの語り草。 住友金属では日本選手権優勝、阪神入団1年目も日本一を経験。169cmの小さな体ながらファイト溢れるプレイで、一時はレギュラーに。プロ通算成績は、300試合出場 123安打 13本塁打 打率.208。 ●安打製造機・正田耕三(新日鉄広畑)は広島2位 市和歌山商〜新日鉄広畑。高校時代は甲子園出場せず。社会人ではロサンゼルス五輪に選ばれ、金メダル獲得に貢献。 プロでは2年目にスイッチヒッターになり、1987年、1988年と2年連続首位打者を獲得。守備も巧く、ゴールデングラブは5回受賞。 プロ通算成績は、1565試合出場 1546安打 44本塁打 打率.287。 ●イブシ銀の持ち味・和田豊(日本大)は阪神3位 我孫子高〜日本大。 高校1年夏に甲子園へ出場。本格派右腕・武藤信二(1978年ロッテ4位拒否)を擁し、上位進出を期待されたが、石嶺和彦(昭和53年阪急2位)の豊見城高に初戦で敗退した。 高校卒業後、日大へ進学。大学3年の春の東都大学リーグで.448の高打率で、首位打者を獲得。ロサンゼルス五輪にも選ばれ、金メダル獲得に貢献した。 プロ通算成績は、1713試合出場 1739安打 打率.291。 ●その他、指名された主な選手は 投手では、通算86勝の宮本和知(巨人3位)、通算87勝の山崎慎太郎(近鉄3位)、通算54勝15セーブの河野博文(日本ハム1位)。 野手では、通算1226安打の鈴木貴久(近鉄5位)、横浜へ移籍した好リードが光る中村武志(中日1位)、1991年に盗塁王の大野久(阪神5位)、通算732安打の秦真司(ヤクルト2位)、1985年度パ・リーグ新人王の熊野輝光(阪急3位)、通算124本塁打を放ったパワーヒッター・高橋智(阪急4位)、ベストナイン二度受賞の福良淳一(阪急6位)、入団1年目と2年目に三割をマークの横田真之(ロッテ4位)、西武黄金時代の遊撃手としてしぶい活躍をした田辺徳雄(西武2位)、三拍子揃った湯上谷宏(南海2位)など、2位以下に実力派が揃った。 |
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♪日本レコード大賞 | 五木ひろし「長良川艶歌」 |
♪最優秀新人賞 | 岡田有希子「恋はじめまして」 |
♪世相や流行 | エリマキトカゲが茶の間のスターに |
♪流行言葉 | まじ? 教官! 禁煙パイポ |
♪社会の出来事 | かい人21面相のグリコ・森永事件 新紙幣発行 |
♪プロ野球の優勝チーム | セ:広島75勝45敗10引 パ:阪急75勝45敗10引 |
♪プロ野球の最優秀選手 | セ:衣笠祥雄(広島) パ:ブーマー(阪急) |
♪春の甲子園優勝校 | 岩倉(バッテリー:山口−浅見) |
♪夏の甲子園優勝校 | 取手二(バッテリー:石田−中島) |