| 第23回ドラフト会議 1987年(昭和62年) |
| ●第23回ドラフト会議の選択方法 選択方法はこちら 高校生が大豊作の年。その中でも川島堅(東亜学園)、伊良部秀輝(尽誠学園)、江口孝義(佐賀工)が「ビッグ3」とよばれ注目を集めた。大学組では、「ミスタープロ野球」こと、長嶋茂雄の息子・一茂(立教大)が人気になった。 ●高校生ナンバー1投手・川島堅(東亜学園高)に三球団が競合 東亜学園高のエースとして、高校2年夏、3年夏の二回甲子園へ出場。高校2年夏の甲子園は初戦で米子東に1−3で敗れた。 高校3年夏の甲子園は、1回戦、2回戦と難なく突破。3回戦で柳田聖人(南海3位)がエースの延岡工、準々決勝では北嵯峨を立て続けに完封シャットアウトし、準決勝進出。 |
【1987年夏の甲子園・準決勝】
この試合は川島(東亜)と島田(常総→日ハムドラフト外)の手に汗握る投手となり延長戦へ突入。延長10回裏、常総学院の攻撃。この回、先頭の島田はライト前安打で無死一塁。続く仁志の打った打球は二塁ベースで大きくはずみ、それを捕った遊撃手・西村(東亜)は慌てて一塁へ悪送球。その間に、一塁走者の島田は一気にホームへ滑りこみ、サヨナラゲーム。 |
▼東亜スタメン (中)吉田明B (二)鎌田A (左)広瀬A (一)小関B (遊)西村@ (右)三部B (捕)副島B (投)川島B (三)吉野B |
▼常総スタメン】 (二)江原B (捕)橘原B (右)川原B (三)福井A (投)島田B (遊)仁志@ (一)増田B (左)荒井B (中)溜井B |
| 準決勝で敗れたものの、140キロを超える快速球と抜群の制球力で、スカウトの評価はうなぎ上りになった。 <スポーツニッポン(1987年8月)より> ネット裏にちらばったスカウトが手のひら大のエンマ帳「川島堅」の項に書き込んだ印は三重丸だけだ。「素材ならどこの球団のスカウトに聞いてもトップクラスだろう」とロッテ・高見沢スカウト。「腕の柔らかさ、バランスのとれた投球フォーム。これだけの投手はめったに出ない。下半身を鍛えあげれば、すばらしい投手になる」とベタボメだった。 大洋・若生取締役スカウト部長は「まちがいなくドラフトは1位指名で消えるはず」と、真剣なまなざしでマウンドを見る。ノドから手が出るほどほしい、即戦力の投手だ。 「ウチではずっと前からトップ候補です。140キロをコンスタントに投げる投手はプロにもそうざらにいない」(近鉄・石渡スカウト)。まだまだ絶賛の声は続く。「今年の全投手を見渡しても何人もいない即戦力の中でもピカイチ」(広島・渡辺スカウト) 西武・宮原スカウトは「ウーン。この次ね」と足早に帰った。手の内は見せられない、そんな態度だ。 担当スカウトばかりではなかった。広島・野崎、西武・根本と昨年日本シリーズの覇を競った両チームの首脳までが甲子園に足を運んでいる。川島の周囲はにわかにエキサイトし始めた。 ドラフト会議では阪神、近鉄、広島の三球団が1位指名し、抽選により広島へ。プロでは2年目の4月29日・阪神戦で完投勝利し、将来を期待されるも、故障に泣き、結局、大成せずに終わった。 ●春夏連覇のPL学園から立浪(中日1位)、野村(大洋3位)、橋本(巨人1位) 甲子園春夏連覇の偉業を達成したPL学園から立浪和義、野村弘、橋本清と三人の選手が指名された。ちなみに他にも、大学・社会人を経てプロ入りした片岡篤史、宮本慎也ら、この年のPL学園は超豪華メンバー。 ☆甲子園決勝戦でのPL学園スタメン☆ (二)尾崎B (捕)伊藤B (遊)立浪B…1987年中日に1位指名され入団 (一)片岡B…同志社大を経て、1991年日本ハムに2位指名され入団 (右)長谷川B (投)野村B…1987年大洋に3位指名され入団 (左)桑田B…桑田真澄の実弟 (三)宮本A…同志社大〜プリンスホテルを経て、1994年ヤクルトに2位指名され入団 (中)蔵本B (控)橋本B…1987年巨人に1位指名され入団 準決勝の帝京戦で、芝草宇宙(日本ハム6位)から本塁打を放った立浪和義は南海、中日が1位指名し、抽選により中日へ入団。「天才遊撃手。守りなら即戦力」と、高校時代から軽快なフットワークと肩の強さを高く評価され、プロでは1年目から使ってもらい、新人王を獲得。 PL三本柱のエース格・背番号1の野村弘は、大洋に3位指名され入団。1993年に17勝をマークし最多勝を獲得するなど、左のエースとして活躍し、プロ通算101勝。 背番号10の橋本清は巨人に1位指名され入団。巨人では中継ぎエースとして活躍するが、故障に泣き実働期間は短かった。 ●プロ拒否の上原晃(沖縄水産高)を中日が強行指名 沖縄水産高のエースとして高校1年夏、2年春、2年夏、3年夏と、合計四回甲子園へ出場。高校3年夏の甲子園では盛田幸妃(大洋1位)がエースの函館有斗を3−2で破り2回戦に進出するも、島田直也(日本ハム外)、仁志敏久(平成7年巨人2位)の常総学院に0−7で敗退。 ドラフト1位級の器ながら明治大進学がほぼ決定的で、他球団は拒否を恐れて敬遠したが、中日が3位で強行指名。翌日のスポーツ紙には、「指名は迷惑。進学は明治大との約束。中日が明治大の許可を得ないかぎり交渉には応じない」とのコメントが載っていたが、そこは明治大出身の中日・星野監督、明治大の島岡御大に頭を下げあっさり入団。 プロでは1年目からリリーフで活躍、24試合登板し、3勝2敗1セーブ、防御率2.35の好成績をあげ、郭源治とのダブルストッパーは他球団に恐れられた。右手の血行障害に悩まされ実働期間は短く、プロ通算成績は、138試合登板し、19勝21敗1セーブ、防御率4.85。 ●人気の長嶋一茂(立教大)はヤクルトと大洋が競合 立教高校3年夏の埼玉県大会準決勝で、所沢商高に敗れ甲子園不出場。 高校卒業後、立教大へ進学。大学4年間の通算打率は.225と低いが、11本塁打を記録。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄の息子ということで、常にマスコミから注目される人気選手だった。 実力的には未熟ながらスター性を買って一茂を1位指名したのはヤクルトと大洋で、抽選によりヤクルトへ。プロ通算成績は、384試合出場 161安打 138本塁打 打率.210。 ●その他、指名された主な選手は メジャーへ移籍した速球王・伊良部秀輝(ロッテ1位)、清原二世と鳴り物入りで入団した鈴木健(西武1位)、1998年に最多勝を獲得した武田一浩(日本ハム)、ロッテの主軸打者・堀幸一(ロッテ3位)、通算54勝の村田勝喜(南海6位)、1993年にオリックスへ移籍し最多勝を獲得した野田浩司(阪神)らが指名された。 |
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| ♪日本レコード大賞 | 近藤真彦「愚か者」 |
| ♪最優秀新人賞 | 立花理佐「キミはどんとくらい」 |
| ♪世相や流行 | 朝シャンブーム ボディコン流行 |
| ♪流行言葉 | 花モク サラダ記念日 5時から男のグロンサン |
| ♪社会の出来事 | 国鉄民営化JRスタート 竹下新政権が発足 |
| ♪プロ野球の優勝チーム | セ:巨人76勝43敗11引 パ:西武71勝45敗14引 |
| ♪プロ野球の最優秀選手 | セ:山倉和博(巨人) パ:東尾修(西武) |
| ♪春の甲子園優勝校 | PL学園(バッテリー:野村−松下) |
| ♪夏の甲子園優勝校 | PL学園(バッテリー:野村−伊藤) |