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1987年(昭和62年)ドラフト会議 〜ドラフト概要〜


ヤクルト 広島 大洋 阪神 中日 読売 ドラフト概要
近鉄 ロッテ 阪急 西武 日本ハム 南海 選択方法



高校生が大豊作の年。その中でも川島堅(東亜学園)、伊良部秀輝(尽誠学園)、江口孝義(佐賀工)が「ビッグ3」とよばれ注目を集めた。大学組では、「ミスタープロ野球」こと、長嶋茂雄の息子・一茂(立教大)が人気になった。


●高校生ナンバー1投手・川島堅(東亜学園高)に三球団が競合
東亜学園高のエースとして、高校2年夏、3年夏の二回甲子園へ出場。高校2年夏の甲子園は初戦で米子東に1−3で敗れた

高校3年夏の甲子園は、1回戦、2回戦と難なく突破。3回戦で柳田聖人(南海3位)がエースの延岡工、準々決勝では北嵯峨を立て続けに完封シャットアウトし、準決勝進出。

準決勝で、 島田(後に日本ハム)仁志(後に巨人)の常総学院に敗れたものの、140キロを超える快速球と抜群の制球力で、スカウトの評価はうなぎ上りになった。

当時のスカウト評を挙げると、
「腕の柔らかさ、バランスのとれた投球フォーム。これだけの投手はめったに出ない。下半身を鍛えあげれば、すばらしい投手になる」(ロッテ・高見沢スカウト)

「まちがいなくドラフトは1位指名で消えるはず」(大洋・若生取締役スカウト部長)

「今年の全投手を見渡しても何人もいない即戦力の中でもピカイチ」(広島・渡辺スカウト)

ドラフト会議では阪神、近鉄、広島の三球団が1位指名し、抽選により広島へ。プロでは2年目の4月29日・阪神戦で見事、完投勝利。しかし高校時代の過度の連投が原因か、1990年、肘の軟骨剥離でシーズンオフに手術するなど故障に苦しみ、大成せずに終わった。

引退後は柔道整復師の資格を取得。2001年より武蔵境中央整骨院の院長。2007年9月より独立し、一橋接骨院を開業。


●春夏連覇のPL学園から立浪(中日1位)、野村(大洋3位)、橋本(巨人1位)
甲子園春夏連覇の偉業を達成したPL学園から立浪和義、野村弘、橋本清と三人の選手が指名された。ちなみに他にも、大学・社会人を経てプロ入りした片岡篤史宮本慎也ら、この年のPL学園は超豪華メンバー。

☆甲子園決勝戦でのPL学園スタメン☆
(二)尾崎B
(捕)伊藤B
(遊)立浪B…1987年中日に1位指名され入団
(一)片岡B…同志社大を経て、1991年日本ハムに2位指名され入団
(右)長谷川B
(投)野村B…1987年大洋に3位指名され入団
(左)桑田B…桑田真澄の実弟
(三)宮本A…同志社大〜プリンスホテルを経て、1994年ヤクルトに2位指名され入団
(中)蔵本B
(控)橋本B…1987年巨人に1位指名され入団


準決勝の帝京戦で、芝草宇宙(日本ハム6位)から本塁打を放った立浪和義は南海、中日が1位指名し、抽選により中日へ入団。「天才遊撃手。守りなら即戦力」と、高校時代から軽快なフットワークと肩の強さを高く評価され、プロでは1年目から使ってもらい、新人王を獲得。

PL三本柱のエース格・背番号1の野村弘は、大洋に3位指名され入団。1993年に17勝をマークし最多勝を獲得するなど、左のエースとして活躍し、プロ通算101勝。

背番号10の橋本清は巨人に1位指名され入団。巨人では中継ぎエースとして活躍するが、故障に泣き実働期間は短かった。


●プロ拒否の上原晃(沖縄水産高)を中日が強行指名
沖縄水産高のエースとして高校1年夏、2年春、2年夏3年夏と、合計四回甲子園へ出場。高校3年夏の甲子園では盛田幸妃(大洋1位)がエースの函館有斗を3−2で破り2回戦に進出するも、島田直也(日本ハム外)仁志敏久(平成7年巨人2位)の常総学院に0−7で敗退。

ドラフト1位級の器ながら明治大進学がほぼ決定的で、他球団は拒否を恐れて敬遠したが、中日が3位で強行指名。翌日のスポーツ紙には、「指名は迷惑。進学は明治大との約束。中日が明治大の許可を得ないかぎり交渉には応じない」とのコメントが載っていたが、そこは明治大出身の中日・星野監督、明治大の島岡御大に頭を下げあっさり入団。

プロでは1年目からリリーフで活躍、24試合登板し、3勝2敗1セーブ、防御率2.35の好成績をあげ、郭源治とのダブルストッパーは他球団に恐れられた。右手の血行障害に悩まされ実働期間は短く、プロ通算成績は、138試合登板し、19勝21敗1セーブ、防御率4.85。


●人気の長嶋一茂(立教大)はヤクルトと大洋が競合
立教高校3年夏の埼玉県大会準決勝で、所沢商高に敗れ甲子園不出場。

高校卒業後、立教大へ進学。大学4年間の通算打率は.225と低いが、11本塁打を記録。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄の息子ということで、常にマスコミから注目される人気選手だった。

実力的には未熟ながらスター性を買って一茂を1位指名したのはヤクルトと大洋で、抽選によりヤクルトへ。プロ通算成績は、384試合出場 161安打 18本塁打 打率.210。


●その他、指名された主な選手は
メジャーへ移籍した速球王・伊良部秀輝(ロッテ1位)、清原二世と鳴り物入りで入団した鈴木健(西武1位)、1998年に最多勝を獲得した武田一浩(日本ハム)、ロッテの主軸打者・堀幸一(ロッテ3位)、通算54勝の村田勝喜(南海6位)、1993年にオリックスへ移籍し最多勝を獲得した野田浩司(阪神)らが指名された。





1987年(昭和62年)ドラフト会議の結果

巨人
1位 橋本 清 PL学園高 投手
2位 後藤 孝次 中京高 内野手
3位 礒貝 公伸 宮崎南高 投手
4位 小沢 浩一 三菱自動車水島 内野手
5位 益田 明典 愛知学院大 投手
6位 杉山 直樹 沼津学園高 捕手
プロ入り後の成績

中日
1位 立浪 和義 PL学園高 内野手
2位 鎌仲 政昭 神戸高 投手
3位 上原 晃 沖縄水産高 投手
4位 小美濃 武芳 東洋大 投手
5位 音 重鎮 新日鉄名古屋 外野手
6位 高橋 幸二 盛岡工高 投手
プロ入り後の成績

広島
1位 川島 堅 東亜学園高 投手
2位 石貫 宏臣 西日本短大付高 投手
3位 北原 喜久男 碧南工高 投手
4位 水沢 英樹 秋田経法大付高 投手
5位 塚本 善之 西城陽高 投手
6位 芦沢 公一 韮崎工高 投手
プロ入り後の成績

ヤクルト
1位 長嶋 一茂 立教大 内野手
2位 忰田 幸也 東農大二高 投手
3位 鈴木 平 東海大一高 投手
4位 池末 和隆 杵島商高 投手
5位 中西 親志 NTT東海 捕手
6位 城 友博 習志野高 外野手
プロ入り後の成績

大洋
1位 盛田 幸妃 函館有斗高 投手
2位 岡本 透 川崎製鉄神戸 投手
3位 野村 弘 PL学園高 投手
4位 清水 義之 スリーボンド 内野手
5位 横谷 彰将 熊谷組 外野手
6位 田辺 学 東京ガス 投手
プロ入り後の成績

阪神
1位 野田 浩司 九州産交 投手
2位 高井 一 横浜高 外野手
3位 山田 勝彦 東邦高 捕手
4位 宮脇 則昭 大牟田高 投手
5位 武内 淳二 鳴門商高 投手
6位 牛山 晃一 市立川口高 投手
プロ入り後の成績

西武
1位 鈴木 健 浦和学院高 内野手
2位 上田 浩明 北陽高 内野手
3位 城土 大二郎 九州産交 内野手
4位 加世田 美智久 都城高 投手
5位 前田 俊郎 新日鉄君津 内野手
6位 上中 吉成 泉州高 外野手
プロ入り後の成績

阪急
1位 伊藤 敦規 熊谷組 投手
2位 山内 嘉弘 近畿大 投手
3位 八木 政義 銚子商高 投手
4位 伊藤 隆偉 東海理化 投手
プロ入り後の成績 
   
  

日本ハム
1位 武田 一浩 明治大 投手
2位 小川 浩一 日本鋼管 内野手
3位 藤島 誠剛 岩陽高 内野手
4位 五十嵐 明 平工高 投手
5位 平良 吉照 八重山高 捕手
6位 芝草 宇宙 帝京高 投手
プロ入り後の成績

南海
1位 吉田 豊彦 本田技研熊本 投手
2位 若井 基安 日本石油 内野手
3位 柳田 聖人 延岡工高 内野手
4位 大道 典良 明野高 外野手
5位 吉永 幸一郎 東海大工高 捕手
6位 村田 勝喜 星稜高 投手
プロ入り後の成績

ロッテ
1位 伊良部 秀輝 尽誠学園高 投手
2位 里見 祐輔 静岡市立高 投手
3位 堀 幸一 長崎海星高 内野手
4位 小林 茂生 横芝敬愛高 投手
5位 山下 徳人 東洋大 内野手
6位 大村 巌 東海大四高 外野手
プロ入り後の成績

近鉄
1位 高柳 出己 日本通運 投手
2位 野林 大樹 日大三高 内野手
3位 藤原 清景 大谷高 捕手
4位 松久保 新吾 愛工大名電高 外野手
5位 長岡 学 市立川口高 外野手
6位 木下 文信 大阪ガス 投手
プロ入り後の成績





1987年(昭和62年)ってどんな年?
日本レコード大賞 近藤真彦「愚か者」
最優秀新人賞 立花理佐「キミはどんとくらい」
世相や流行 朝シャンブーム ボディコン流行
流行言葉 花モク サラダ記念日 5時から男のグロンサン
社会の出来事 国鉄民営化JRスタート 竹下新政権が発足
プロ野球の優勝チーム セ:巨人76勝43敗11引 パ:西武71勝45敗14引
プロ野球の最優秀選手 セ:山倉和博(巨人) パ:東尾修(西武)
春の甲子園優勝校 PL学園(バッテリー:野村−松下)
夏の甲子園優勝校 PL学園(バッテリー:野村−伊藤)