【YouTube動画・1985年夏の高校野球】 プロ入りした甲子園のヒーロー達




〜土佐の怪童・中山裕章(高知商)のピッチング〜


■1985年夏の全国高校野球選手権大会・1回戦
藤嶺藤沢 000 000 011|2
高知商業 501 000 30X|9

【藤】大立、一条、竹野−萩窪
【高】中山裕−岡村


「土佐の怪童」と称された中山裕章(高知商)。
初戦の藤嶺藤沢戦では10奪三振をマーク。続く2回戦の志度商戦では6連続奪三振を記録。スピードガンは、145、140、142、145と、軒並み140キロを突破し、「尾崎、池永を思わせる久しぶりの剛速球投手」と、プロの評価が一気に上がった。

当時のスポーツ紙のスカウト語録をみると、「剛の中山、柔の桑田(PL学園)」、「将来性では中山のほうが上」、「惚れ惚れする馬力。高校時代の江川に似ている」など、桑田(PL学園→1985年巨人1位)よりも中山を高く評価するコメントが多かった。

■1985年(昭和60年)8月17日、スポーツニッポン1面「スカウト秘帳」より
「ホレボレする馬力だね。速球の重さは高校時代の江川に似てる。剛の中山裕(高知商)、柔の桑田(PL学園)というところかな。いい土産ができた」(大洋・湊谷スカウト部長)

「あの尾崎(浪商)、池永(下関商)を思わせる久しぶりの豪速球投手だね。スカッとしたよ」(巨人・伊藤菊スカウト)


ドラフト会議では大洋が一本釣りに成功し、単独1位指名。プロでは、入団2年目に5勝、3年目には10勝6敗24セーブ、防御率2.28の好成績をおさめた。後に先発に転向し、大洋ホエールズの若きエースとして君臨。

しかし、1991年のシーズンオフ、幼女に対し如何わしい行為をおこなったとして強制わいせつ容疑で逮捕され、大洋をクビになった。その後、被害者との和解が成立し、1994年にプロ復帰。

通算成績は、423試合出場し、51勝71敗62セーブ 防御率3.83。
日本プロ野球を引退後は台湾球界で活躍。


藤嶺藤沢スタメン 高知商スタメン
1番 (左)谷
2番 (中)奥村
3番 (一)諸橋
4番 (遊)斎藤
5番 (捕)萩窪
6番 (二)市島
7番 (右)黒川
8番 (投)大立
9番 (三)笠原
  1番 (遊)川村
2番 (右)中村
3番 (左)中山畠
4番 (三)小松
5番 (投)中山裕 85大洋1位
6番 (二)松岡
7番 (中)筒井
8番 (捕)岡村
9番 (一)楠